2021年6月1日 適正露出。 [カメラ]
ASAHI PENTAX SP SMC-T55mm NEOPAN SSS
Nikon D850 PC-E 85mm
セコニックが、この6月で創立70周年だそうだ。
SEKONICという会社が、今、実はどんな会社なのか寡聞にして存じ上げないのであるが、なんにせよ我らが”メーター”のセコニックが健在にして70周年という事には、感謝と祝福を惜しめないのは当然である。
ビネガーシンドロームの浸食を少し被った一枚目の写真は、なんとも怪しい研究所的な様相であるが、ニチゲーの写真学科の、建て替わる前の写真学科棟の屋上での実習風景である。カットフォルダーの入るパッチポケットを追加した名前入り白衣が、暗室作業の頻度の高さもあって、実習時のユニフォームだったことが怪しい研究所員風を醸しだしている主因だ。
もはや大昔な当時のことだけど、日本大学芸術学部写真学科に入学すると早々に買い揃えることを指示されるモノが、カットフィルムフォルダーとケーブルレリーズ、そして露出計だった。
推奨されたのはカットフィルムフォルダーはFIDELITY、ケーブルレリーズはProntorだ。フィデリティのフォルダーは、たしかにLISCOやトヨのそれに比べ滑らかな操作性と確実な遮光性能があった。同様にプロンターのレリーズも、タングステンライト撮影の長時間露光に影響を及ぼさない柔らかさと、なによりその小さな接続部がビューカメラの前板アオリの障害にならないのが絶対の利点だ。ちなみにその後の仕事の場でも選ぶべきとされたのは、Prontorと意外にもPENTAXのケーブルレリーズで、押し心地とワンタッチロックの操作性が高評価だったのである。
露出計については推奨の記憶は曖昧だけど、ともかく先ず語られるのはセコニックで二の句がミノルタだったのは間違いない。だから当然周りの友人たちの殆どはSEKONICスタジオデラックスを買っていた。なにしろ定常光露出計の絶対的デファクトスタンダードはスタジオデラックスだったからだ。そんな中Minoltaオートメーターを選んだのは、”電動”で絞り値直読式のオートメーターに未来を感じたから、という言い訳を用意した天邪鬼な性格のせいだったと大人になった今は冷静に思い出すのである。
露出計って使ってる?と以前訊かれた。同業者にである。たしかにデジタルカメラの今は、経験に基づいてセットしたライティングで取り敢えず1枚撮ってそれを基に調整すれば、メーターが無くても露出やカラーの正解を導き出すのは容易だ。フィルムからデジタルへの変革は、高解像高画質に必須だった大判ビューカメラを不要にした。それはつまりカットフィルムフォルダーもケーブルレリーズも、不要だという事を意味している。
露出計のセコニックが、この時代に70周年を迎えたことを喜びたい。そして80周年を祝えることを切に願う。
ビネガーシンドロームの浸食を少し被った一枚目の写真は、なんとも怪しい研究所的な様相であるが、ニチゲーの写真学科の、建て替わる前の写真学科棟の屋上での実習風景である。カットフォルダーの入るパッチポケットを追加した名前入り白衣が、暗室作業の頻度の高さもあって、実習時のユニフォームだったことが怪しい研究所員風を醸しだしている主因だ。
もはや大昔な当時のことだけど、日本大学芸術学部写真学科に入学すると早々に買い揃えることを指示されるモノが、カットフィルムフォルダーとケーブルレリーズ、そして露出計だった。
推奨されたのはカットフィルムフォルダーはFIDELITY、ケーブルレリーズはProntorだ。フィデリティのフォルダーは、たしかにLISCOやトヨのそれに比べ滑らかな操作性と確実な遮光性能があった。同様にプロンターのレリーズも、タングステンライト撮影の長時間露光に影響を及ぼさない柔らかさと、なによりその小さな接続部がビューカメラの前板アオリの障害にならないのが絶対の利点だ。ちなみにその後の仕事の場でも選ぶべきとされたのは、Prontorと意外にもPENTAXのケーブルレリーズで、押し心地とワンタッチロックの操作性が高評価だったのである。
露出計については推奨の記憶は曖昧だけど、ともかく先ず語られるのはセコニックで二の句がミノルタだったのは間違いない。だから当然周りの友人たちの殆どはSEKONICスタジオデラックスを買っていた。なにしろ定常光露出計の絶対的デファクトスタンダードはスタジオデラックスだったからだ。そんな中Minoltaオートメーターを選んだのは、”電動”で絞り値直読式のオートメーターに未来を感じたから、という言い訳を用意した天邪鬼な性格のせいだったと大人になった今は冷静に思い出すのである。
露出計って使ってる?と以前訊かれた。同業者にである。たしかにデジタルカメラの今は、経験に基づいてセットしたライティングで取り敢えず1枚撮ってそれを基に調整すれば、メーターが無くても露出やカラーの正解を導き出すのは容易だ。フィルムからデジタルへの変革は、高解像高画質に必須だった大判ビューカメラを不要にした。それはつまりカットフィルムフォルダーもケーブルレリーズも、不要だという事を意味している。
露出計のセコニックが、この時代に70周年を迎えたことを喜びたい。そして80周年を祝えることを切に願う。
2021-06-01 16:24
2021年3月4日 虻蜂取らず、とか。 [カメラ]
DELL XPS 13
ニコンNX Studioである。
既存のView NX-i、Capture NX-Dを置き換える新しいアプリケーションソフトだ。
静止画と動画の垣根を無くしシームレスにこのソフト一つで、、、というような志が前向きなアナウンスである。かわりにNX-iもNX-Dもお終いだからこのNX Studioを使いなさいね、ということでもある。たしか数日前にView NX-iとCapture NX-Dのバージョンアップをしていたような気もするけれどもだ。
なにやら昨今不穏な記事ばかりがネット上を飛び交っているニコンだけど、ソフトを新調するなんていいね!という事で早速手元のDELL XPS13にインストールするのである。
MacでADOBEが基本的なワークフローだけれど、撮影のお供はWindows機の少し古いDELL XPS13だ。それはフルサイズのSDカードリーダーも、Thunderbolt3も、USB-Aも装備している無二の得難いラップトップコンピューターだからである。ただ注文時カスタムが叶わず、残念なことに性能は吊るしのままだ。その昔はWinとMacでのデータ移行なんて大騒ぎだったけど、いまや何事も無い。ある日、Photoshopの画面がMacもWinも変わらなくなって少し感激したのは遠い記憶だ。
Camera Control Pro2で読み込んでView NX-iで表示するのがニコンで撮影の場合のお作法としている。まあ実際はその裏でLightroomのカタログに読み込んでいるのだけれど、LightroomあるいはBridgeで表示するより軽快だ。非力な8inWinタブレットでも快適だったNX-2に比べ重くなったとは言え、そもそも画像表示だけが目的なので、使いにくいUIのNX-iでも十分なのである。
NX StudioをインストールするとView NX-iは自動的にアンインストールされる。ニコンの強い意思表示なのだろう。ソフトウェアの機能的にはCapture NX-Dの方をアンインストールすべきではと思うが、まあそれはともかくだ。
試しにとXPS13のストレージに既に保存されているファイルを開こうとして幾度もNX Studioが落ちた。正確なところはわからないけどLightroomがらみのフォルダを選ぶと、落ちる。ともかくD850のRAWデータを開くと重い、ムービーデータを開くと重い。とにかく重くてまっとうに動かないのである。UIは相変わらず不思議だ、特に以前ニコンカレッジで動画の授業をさせていただいていた時にも説明に苦労した不思議な日本語オンパレードのムービーエディターは何の進歩も無い。
なにより、Camera Control Pro2は昨年からバージョンアップが用意されて無いため現段階ではNX Studioにデータが送れないのである。
結局、NX Studioを速やかにアンインストールである。そしてお節介にも自動的に削除されたView NX-iを再度ダウンロードしてインストールするのであった。
ニコン、なんだかなぁ。
静止画と動画の垣根を無くしシームレスにこのソフト一つで、、、というような志が前向きなアナウンスである。かわりにNX-iもNX-Dもお終いだからこのNX Studioを使いなさいね、ということでもある。たしか数日前にView NX-iとCapture NX-Dのバージョンアップをしていたような気もするけれどもだ。
なにやら昨今不穏な記事ばかりがネット上を飛び交っているニコンだけど、ソフトを新調するなんていいね!という事で早速手元のDELL XPS13にインストールするのである。
MacでADOBEが基本的なワークフローだけれど、撮影のお供はWindows機の少し古いDELL XPS13だ。それはフルサイズのSDカードリーダーも、Thunderbolt3も、USB-Aも装備している無二の得難いラップトップコンピューターだからである。ただ注文時カスタムが叶わず、残念なことに性能は吊るしのままだ。その昔はWinとMacでのデータ移行なんて大騒ぎだったけど、いまや何事も無い。ある日、Photoshopの画面がMacもWinも変わらなくなって少し感激したのは遠い記憶だ。
Camera Control Pro2で読み込んでView NX-iで表示するのがニコンで撮影の場合のお作法としている。まあ実際はその裏でLightroomのカタログに読み込んでいるのだけれど、LightroomあるいはBridgeで表示するより軽快だ。非力な8inWinタブレットでも快適だったNX-2に比べ重くなったとは言え、そもそも画像表示だけが目的なので、使いにくいUIのNX-iでも十分なのである。
NX StudioをインストールするとView NX-iは自動的にアンインストールされる。ニコンの強い意思表示なのだろう。ソフトウェアの機能的にはCapture NX-Dの方をアンインストールすべきではと思うが、まあそれはともかくだ。
試しにとXPS13のストレージに既に保存されているファイルを開こうとして幾度もNX Studioが落ちた。正確なところはわからないけどLightroomがらみのフォルダを選ぶと、落ちる。ともかくD850のRAWデータを開くと重い、ムービーデータを開くと重い。とにかく重くてまっとうに動かないのである。UIは相変わらず不思議だ、特に以前ニコンカレッジで動画の授業をさせていただいていた時にも説明に苦労した不思議な日本語オンパレードのムービーエディターは何の進歩も無い。
なにより、Camera Control Pro2は昨年からバージョンアップが用意されて無いため現段階ではNX Studioにデータが送れないのである。
結局、NX Studioを速やかにアンインストールである。そしてお節介にも自動的に削除されたView NX-iを再度ダウンロードしてインストールするのであった。
ニコン、なんだかなぁ。
2021-03-04 23:08
2021年2月22日 クルっとまわってネーコの眼。 [カメラ]
Fujifilm X-T2 XF18-55mm
猫の日、である。
ということで我が家の『福』である。陽だまりで眠るところを起こしたせいか些か不機嫌である。おまけにモノクロとしたことで悪者顔だ。
そこは福チャンの名誉(?)のため敢えて申し添えておくが、ホントは柔和な今時のイケメンなのである。
猫の日の記念写真にとACROSのフィルムシミュレーションにセットした富士フイルムのX-T2で撮った。富士フィルムのデジタルカメラは、画調の設定がニュートラルやビビットといったドライな表現ではなくフィルムの名前だ。銀塩写真の時代は用途に応じてフィルムを使い分けていた、それをデジタルカメラでという富士フィルムの矜持だろう。かつてフィルムの開発や色の設定を少しお手伝いしていた身としても嬉しい機能である。
モノクロフィルムのACROSに設定しファインダーを覗くとそこは既に白黒写真が投影されていて気持ちが盛り上がるのである。以前、APAのセミナー用にX-T2をテストした折、ACROSのフィルムシミュレーションがあまりに楽しくて、その後まんまとX-T2を買ってしまったのだった。買ってしまったから言うわけではないが動画機能も含めとても良く写るカメラなことは間違いない。ただ余計な一言を今日も付け足しておこう、はっきり言って”写真機”としての操作性は最悪だ。
フィルムシミュレーション機能は画像にフィルターのようなエフェクトを掛けている訳ではなく、カメラ内で行われているJPEG書き出しの際のRAWデータ処理に自社製のフィルムの特性を基に算出したプロファイルを用いている点が特徴である。だから当然カメラの画質設定をRAWとしていた場合、記録されるのは”素”のデジタルデータとなってしまう。よーするに、撮影時のファインダー画像がACROSでテンションアゲアゲだったとしてもコンピューターに読み込んだ瞬間に現実に引き戻されるのである。ただ、それはつまりトライだのエクタだのと翻意し放題のデジタルカメラの自由さでもある。
そこは福チャンの名誉(?)のため敢えて申し添えておくが、ホントは柔和な今時のイケメンなのである。
猫の日の記念写真にとACROSのフィルムシミュレーションにセットした富士フイルムのX-T2で撮った。富士フィルムのデジタルカメラは、画調の設定がニュートラルやビビットといったドライな表現ではなくフィルムの名前だ。銀塩写真の時代は用途に応じてフィルムを使い分けていた、それをデジタルカメラでという富士フィルムの矜持だろう。かつてフィルムの開発や色の設定を少しお手伝いしていた身としても嬉しい機能である。
モノクロフィルムのACROSに設定しファインダーを覗くとそこは既に白黒写真が投影されていて気持ちが盛り上がるのである。以前、APAのセミナー用にX-T2をテストした折、ACROSのフィルムシミュレーションがあまりに楽しくて、その後まんまとX-T2を買ってしまったのだった。買ってしまったから言うわけではないが動画機能も含めとても良く写るカメラなことは間違いない。ただ余計な一言を今日も付け足しておこう、はっきり言って”写真機”としての操作性は最悪だ。
フィルムシミュレーション機能は画像にフィルターのようなエフェクトを掛けている訳ではなく、カメラ内で行われているJPEG書き出しの際のRAWデータ処理に自社製のフィルムの特性を基に算出したプロファイルを用いている点が特徴である。だから当然カメラの画質設定をRAWとしていた場合、記録されるのは”素”のデジタルデータとなってしまう。よーするに、撮影時のファインダー画像がACROSでテンションアゲアゲだったとしてもコンピューターに読み込んだ瞬間に現実に引き戻されるのである。ただ、それはつまりトライだのエクタだのと翻意し放題のデジタルカメラの自由さでもある。
2021-02-22 21:37
2020年11月28日 栄枯盛衰。 [カメラ]
ASAHI PENTAX SP SMC-T55㎜ NEOPAN SSS
1977年の『日本カメラショー』である。
当時は、というか長くそれはデパートの催しだった。だからなにも特別なことではなかった。今ではそこすら大きく様変わりしているのではあるけれど、日本橋髙島屋の8階催事場が会場だ。途中髙島屋の入口付近で、ヨドバシカメラが新聞紙のような黄色い特価表を配っていた。
実はその後聞いた話では、カメラショーに集まる人々はカメラショーのみが目的であり、デパートとしての売り上げ向上の集客効果は全く望めない厄介な催し物だったそうである。それはともかく、マニアたちは待ちに待ったこの年に一度のお祭りの日々に日本橋髙島屋のカメラショー、そして東京駅大丸の『写真用品ショー』へと笑顔で周遊するのであった。あるいはお金持ちの大人は銀座に向かい松屋銀座の『世界中古カメラ市』も必須の周回コースだ。ついで言うと日を置いて科学技術館での『I.P.P.F.』という営業写真館向けを中心としたプロフェッショナルフォトフェアにも多くの人が集まっていた。
その昔、カメラはいつだって最先端技術の結晶で、ハレの場になくてはならない誰もが欲する大切なモノだった。だから憧れを手にできる「カメラショー」は笑顔で賑わっていた。
2020年の今日、ドイツの『photokina』の事実上終了のニュースが伝わってきた。フォトキナは70年の歴史をもつ、それ自体が憧れだったカメラショーはもう開かれない。
2020-11-28 15:45
2020年9月22日 膨張する失意。 [カメラ]
Nikon D850 AF-S60㎜
膨らんだSarface Proである。
ま、昨日今日の出来事ではないのではあるけれど。
お仕事の撮影の時は、まあほとんどの場合カメラとコンピューターを繋いで、所謂テザー撮影というのがお作法だ。コンピューターコントロールが必要だった3ショットのデジタルバックの時代は当然として、最新のデジタルカメラでもその辺りは変わらない。それが為にデスクトップだったりラップトップだったりのコンピューターを撮影現場に担ぎ込むのである。それはポラを引くのより遥かに正確に、そしてリアルタイムに”写り”が共有できるデジタルカメラの恩恵を享受するためだ。
それは、詰まる所フォトグラファーが撮った写真が、同時にカメラ以外でも見られれば良いことに尽きるのである。ということで、その単純にしてささやかな要望が8inのWindowsタブレットで叶ったのに味をしめて続いて導入したのがこのSurface pro 3だ。残念なことに小型軽量の8inタブの画面サイズはブツ撮りではともかく、ヒトを撮るときにはさすがに小さいからね。
と、ある日の事。Surfaceはバッテリーを認識しないというアラートとともに充電ができなくなった。ネット上で探した理論的対処では改善しない、つまり物理的なバッテリーの故障だ。AC電源直結なら、とても不自由だけれど、使用は可能だからバッテリー交換修理を望むのが人情である。ところが驚くことにマイクロソフトは修理に対応していないのである。
そもそも日本国内のマイクロソフトの修理窓口を見つけることが出来なかった。ともかくバッテリー交換は即ち本体交換であること、要するに買い替えろということである。そして、例えばカメラメーカーの修理不能に対応する代替分譲制度に類するものは無い。
結局、AC電源直結のまま使用していたある日、キーボードカバーの収まりが悪くなった。画面に薄っすらムラが出るようになった。そして本体から画面が浮いた。チャットで相談できたマイクロソフト曰く、AC電源接続していると破裂する危険があるから即使用中止するように、そしてPCリサイクルの処分方法は後程メールでとのことであった。つまりことは大事である。
いや、だから、せっかくコンピューター側から異常を知らせてくれたあの時に、消耗品の、バッテリーさえ交換すれば済んだこと、ですよね。
お仕事の撮影の時は、まあほとんどの場合カメラとコンピューターを繋いで、所謂テザー撮影というのがお作法だ。コンピューターコントロールが必要だった3ショットのデジタルバックの時代は当然として、最新のデジタルカメラでもその辺りは変わらない。それが為にデスクトップだったりラップトップだったりのコンピューターを撮影現場に担ぎ込むのである。それはポラを引くのより遥かに正確に、そしてリアルタイムに”写り”が共有できるデジタルカメラの恩恵を享受するためだ。
それは、詰まる所フォトグラファーが撮った写真が、同時にカメラ以外でも見られれば良いことに尽きるのである。ということで、その単純にしてささやかな要望が8inのWindowsタブレットで叶ったのに味をしめて続いて導入したのがこのSurface pro 3だ。残念なことに小型軽量の8inタブの画面サイズはブツ撮りではともかく、ヒトを撮るときにはさすがに小さいからね。
と、ある日の事。Surfaceはバッテリーを認識しないというアラートとともに充電ができなくなった。ネット上で探した理論的対処では改善しない、つまり物理的なバッテリーの故障だ。AC電源直結なら、とても不自由だけれど、使用は可能だからバッテリー交換修理を望むのが人情である。ところが驚くことにマイクロソフトは修理に対応していないのである。
そもそも日本国内のマイクロソフトの修理窓口を見つけることが出来なかった。ともかくバッテリー交換は即ち本体交換であること、要するに買い替えろということである。そして、例えばカメラメーカーの修理不能に対応する代替分譲制度に類するものは無い。
結局、AC電源直結のまま使用していたある日、キーボードカバーの収まりが悪くなった。画面に薄っすらムラが出るようになった。そして本体から画面が浮いた。チャットで相談できたマイクロソフト曰く、AC電源接続していると破裂する危険があるから即使用中止するように、そしてPCリサイクルの処分方法は後程メールでとのことであった。つまりことは大事である。
いや、だから、せっかくコンピューター側から異常を知らせてくれたあの時に、消耗品の、バッテリーさえ交換すれば済んだこと、ですよね。
2020-09-22 20:38
2020年8月14日 改めて、星に願いを。 [カメラ]
Nikon D850 AF-P10-20㎜
流れ星である。
玄関先から見上げた、電気だの電話だの通信だのと忌々しい電線の合間の、ペルセウス座流星群、に、くくられる流星の光跡だ。
D850に、DXつまりAPSサイズセンサー用の10-20㎜ズームで撮影である。このお手頃レンズはフード無しで焦点距離13㎜程度から、FXつまりフルサイズでも蹴られない超広角レンズでもあるのだ。要するにサジタルコマなんて難しい事を言わなければ開放からでも十分イケてる良いレンズということだ。あまりに撮影地点の情報が多く写り込んでいる為、トリミングしてしまっているが、焦点距離13㎜なら水平からほぼ天頂までカバーできる。
もう大昔の高校生の時は地学部でもあったから、望外に立派な望遠鏡を納めたドームのある屋上に大の字になって流星の観測をした。傍らにはネオパンSSを詰めたアサヒペンタックスSPに2.8に絞った標準の55㎜レンズだ。露光時間は6時間、相反則不軌なんてなんのそのでケーブルレリーズをロックするのであった。深夜とは言え明るい東京の空では、長時間露光は不可能だ。夜空の暗さを保ち、かつ流星の光跡が残る露光時間と星の写る感度をとシャッタースピードは3秒、感度はISO1250で間をおいて1分間ずつ連写した、星の流れるタイミングを期待してね。以前オリオン座流星群に高感度を期待してD600で挑んだ時、CMOSの想像以上の写りに驚ろいたのに、高画素高精細のD850は、順当に、さらに多くの星を写し取っていた。
縮小したこの写真では分からないのが残念なほど驚くほど小さな星まで、それこそ星の数ほど星々が写っているのである。ただ、流れ星はこの一つだ。僅かな観測時間だから、もあるけれど、お願いし放題だった高校の頃に比べオトナの人生はなんともシビアだ。
2020-08-14 19:02
2020年7月26日 ジレンマもしくはストレス、その2。 [カメラ]
ASAHI PENTAX SP SMCT55㎜ + NEOPAN SSS
比較的軽傷とは言えベコベコのビネガーシンドロームのこの写真は、おそらく1976年の、スバルとニコンの看板が目立っていた新宿西口である。
先ずは先日の我がニコン機材を襲った惨劇のその後を記録しよう。受付の再開と予想される集中を避けて6月19日に、強固な防疫体制の銀座のNPSに持ち込んだ。そして6月25日に修理は完了した。バッキリ二つに折れた希望小売価格346,500円のレンズは24,695円で復活なったのである。ただ、行くついでに持ち込んだ、AFが不調の見た目こそ新品同様の70-200㎜が、超音波モーターや劣化したゴムリングの交換、レンズ内ゴミ清掃等で20,598円も要してしまったのは少し誤算だ。NPSの割引あっての金額かと思うが、コロナ禍のうえ各種税金の2期目の納付のこの時期に45,293円の出費は心穏やかではないが、幸いにも頑丈に作られているというボディに異常が無かったことが救いだ。
ミラーレスカメラのZシリーズの発表前か後だったか、兎も角その頃、所謂ニコンの中の人と立ち話程度だけど、今更D6(つまりD5の後継一眼レフとして)なんて作る必要ないですよね、と話を振られた。会話の中身はともあれD5の流れのままの一眼レフのD6の不要論には大いに賛成だった。
で、結局D6は発売となった。きっと幾筋かの商品企画や開発の中で最終的にこのD6が選ばれたのだろう。その昔キヤノンが最初のEOS 1Dを出したときに、せっかくデジタルになったのにデカい重いと言ったら、手に馴染んだモードラを付けたフィルムのEOS 1と同じサイズの要望が多かったと反論された。だからD6もきっとそんなことかもしれない。
新しいニコンのミラーレスカメラのZ5が発表された。そもそもカメラにおけるヒエラルキーが良く解らないのであるが、エントリーモデルであるらしい。エントリーモデルって何?はともかく、メディアスロットが2つになったことを除けば、小さくも軽くも無いうえ、わざわざ重要な肩部のディスプレイを無くし、センサーのグレードを落とし、性能すら落とした言わば劣化Z6だ。つまりZ6のメディアスロットを2つにして性能を少し上げた機種を用意して、現行のZ6の価格を下げた方がよほど歓迎されるのではと”カメラマン”としては思う。
我が最良のパートナーである、素晴らしいD800やD850以降はなんとなく商品企画や開発の筋道がそれているような、まあ余計なお世話だけど、でもD850のバックアップは必要なユーザーとしては深刻な不安だ。
2020-07-26 18:36
2020年6月27日 風と共に去りぬ。 [カメラ]
Nikon D850 AF-S60㎜
オリンパスXAである。
実は、我が所有機材において”最新”のオリンパス機でもある。
写真への熱量が高かった学生時代の事だ。パトローネが収まるのかと驚くほど小さくて、レンズキャップも不要で、F2.8から22までの絞り優先のオートで、1/500から1秒までの速度がファインダーで確認でき、小型のストロボも付属した、二重像合致式レンジファインダーの夢のようなカメラがオリンパスから発売になった。江古田からバスで行ける中野の丸井本店で赤いカードで購入したのだった。丸井は意外にもカメラ機材が充実していて、引伸ばしレンズのELニッコール90mmなんかもここで買ったと記憶している。
化粧箱の中の更にのプラスティックのカプセルに収まった、なんだかやたら力の入ったXAは当初入手困難で、当時報道コースの教授をしていた三木 淳が入手できずに悔しがっていた傍で見せびらかしながらガールフレンドを写したりしていたのである。
時は流れてデジタルの時代を迎えたころ、イーストマン・コダックの技術展、つまり感材メーカーから撮像センサーメーカーでもあることを強調する発表会があった。その中の基調講演の一つにオリンパス副社長のKさん(だったよね、たしか)による、4/3in撮像素子を用いてこそ小型軽量の最適化されたデジタル一眼レフカメラが構築できると、テレセントリック光学系なんて言う初めて耳にする単語を織り交ぜながらの大演説があったのである。その後のフォーサーズ規格になるのだけれど、フィルム販売減少を大量生産しやすい小さなセンサーの拡販で補うため、AF化に対応で出来ずフェードアウトしていたOMシリーズのオリンパスを取り込んだのかなぁなんて聴いてしまったのも、事実だ。
結局、リーフに加えてニコンボディを使ったフルサイズや4X4cmのデジタルバックとコダックを使うのであったけど(コダックのWebサイトにお褒めのインプレッションまで載せて!)、オリンパスと4/3センサーを選ぶことは無かった。その後の機種になんの魅力も感じることができなかったから。だから、結局、あの素晴らしいXAがいまだ最新のオリンパス機と言う訳だ。
オリンパスはカメラメーカーでなくなってしまうことが現実化した。寂しいけれど、XAは”最新”にして”最後”の我がオリンパスなのだろう。
写真への熱量が高かった学生時代の事だ。パトローネが収まるのかと驚くほど小さくて、レンズキャップも不要で、F2.8から22までの絞り優先のオートで、1/500から1秒までの速度がファインダーで確認でき、小型のストロボも付属した、二重像合致式レンジファインダーの夢のようなカメラがオリンパスから発売になった。江古田からバスで行ける中野の丸井本店で赤いカードで購入したのだった。丸井は意外にもカメラ機材が充実していて、引伸ばしレンズのELニッコール90mmなんかもここで買ったと記憶している。
化粧箱の中の更にのプラスティックのカプセルに収まった、なんだかやたら力の入ったXAは当初入手困難で、当時報道コースの教授をしていた三木 淳が入手できずに悔しがっていた傍で見せびらかしながらガールフレンドを写したりしていたのである。
時は流れてデジタルの時代を迎えたころ、イーストマン・コダックの技術展、つまり感材メーカーから撮像センサーメーカーでもあることを強調する発表会があった。その中の基調講演の一つにオリンパス副社長のKさん(だったよね、たしか)による、4/3in撮像素子を用いてこそ小型軽量の最適化されたデジタル一眼レフカメラが構築できると、テレセントリック光学系なんて言う初めて耳にする単語を織り交ぜながらの大演説があったのである。その後のフォーサーズ規格になるのだけれど、フィルム販売減少を大量生産しやすい小さなセンサーの拡販で補うため、AF化に対応で出来ずフェードアウトしていたOMシリーズのオリンパスを取り込んだのかなぁなんて聴いてしまったのも、事実だ。
結局、リーフに加えてニコンボディを使ったフルサイズや4X4cmのデジタルバックとコダックを使うのであったけど(コダックのWebサイトにお褒めのインプレッションまで載せて!)、オリンパスと4/3センサーを選ぶことは無かった。その後の機種になんの魅力も感じることができなかったから。だから、結局、あの素晴らしいXAがいまだ最新のオリンパス機と言う訳だ。
オリンパスはカメラメーカーでなくなってしまうことが現実化した。寂しいけれど、XAは”最新”にして”最後”の我がオリンパスなのだろう。
2020-06-27 17:40
2020年6月6日 Black Lives Matter [カメラ]
ASAHI PENTAX SP SMCT55㎜ + FUJI RD
1979年の横須賀の写真だ。
ヨコスカを母港としていた米海軍航空母艦ミッドウエイの乗員の写真だ。
例のごとく整理されていない中、ビネガーシンドロームのモノクロネガ発掘中に見つけたポジフィルムの一枚だ。またこれも未整理なのに撮影年を断言するのは右の水兵が着ている航海記念Tシャツに1979年とあるからだ。余談だけど親しくなった別の水兵に同じTシャツを貰った、ヘインズ製のそれはやたら丈夫で10年以上着続けても襟が伸びることすらなかった。1970年代のメイドインUSAさすがだ。
ニチゲーの写真学科の学生時代、ドキュメンタリー志向だったから、夜7時に自由時間となって街へ出てくる『アメリカ人』を写すために基地のゲート前で待ち構えて、写真を撮っていた。
アメリカ海軍基地らしくゲートから出てくるのは様々な人種だった。とは言え、当然多くは『白人』か『黒人』である。仲良く連れ立って出てくることも勿論少なくはなかったけど、やはりほとんどはそれぞれが別々だった。ソウルトレインでダンスしてそうな装いの黒人のグループに、日本語でのナンパの仕方を教えてほしいと乞われ先ず服装を改めることを伝えて、即席日本語教室を開いていたところ、彼らが去った後しばらく前から様子を見ていた下士官の制服の白人が厳しい表情で近寄ってきて「ブラックマンと話をするな!」と言い捨てて去っていった。
遅い夕食はゲート近くのハンバーガーショップだ。そこで地元の不良に絡まれた、もちろん日本人の若者だ。横浜か?と彼らは訊いてきた。東京から来たということで何事もなく収まったのだけど、隣接する横浜との間には彼らなりのボーダーラインがあって、互いに排他的関係なのだという。
見た目や思想や出身などが異なることで、勝手に線を引き、その向こうを否定する。単純な間違いだ、分けて考える合理的理由がないからだ。線さえ引かなければすぐにその間違いに気付けるはずだ。
例のごとく整理されていない中、ビネガーシンドロームのモノクロネガ発掘中に見つけたポジフィルムの一枚だ。またこれも未整理なのに撮影年を断言するのは右の水兵が着ている航海記念Tシャツに1979年とあるからだ。余談だけど親しくなった別の水兵に同じTシャツを貰った、ヘインズ製のそれはやたら丈夫で10年以上着続けても襟が伸びることすらなかった。1970年代のメイドインUSAさすがだ。
ニチゲーの写真学科の学生時代、ドキュメンタリー志向だったから、夜7時に自由時間となって街へ出てくる『アメリカ人』を写すために基地のゲート前で待ち構えて、写真を撮っていた。
アメリカ海軍基地らしくゲートから出てくるのは様々な人種だった。とは言え、当然多くは『白人』か『黒人』である。仲良く連れ立って出てくることも勿論少なくはなかったけど、やはりほとんどはそれぞれが別々だった。ソウルトレインでダンスしてそうな装いの黒人のグループに、日本語でのナンパの仕方を教えてほしいと乞われ先ず服装を改めることを伝えて、即席日本語教室を開いていたところ、彼らが去った後しばらく前から様子を見ていた下士官の制服の白人が厳しい表情で近寄ってきて「ブラックマンと話をするな!」と言い捨てて去っていった。
遅い夕食はゲート近くのハンバーガーショップだ。そこで地元の不良に絡まれた、もちろん日本人の若者だ。横浜か?と彼らは訊いてきた。東京から来たということで何事もなく収まったのだけど、隣接する横浜との間には彼らなりのボーダーラインがあって、互いに排他的関係なのだという。
見た目や思想や出身などが異なることで、勝手に線を引き、その向こうを否定する。単純な間違いだ、分けて考える合理的理由がないからだ。線さえ引かなければすぐにその間違いに気付けるはずだ。
2020-06-06 15:56
2020年6月2日 弱り目に祟り目、若しくは泣き面に蜂。 [カメラ]
Nikon D850 AF-S60㎜
ぽっきり折れたニッコールPC-E85mmである。
念のため、一見そう見えるのだけれど、このニコンは、あの往年のキヤノンEX EEのように前玉交換式なわけでは決してない。あくまで想定外の所からレンズが分割されている尋常ならざる状態である。
写真の日とこじつけられた昨日の出来事である。むしろ『アサヒカメラ』の休刊が報じられた昨日の事というべきか、ともかくレンズはぽっきり折れてしまった。仕事中のアクシデントだ。"楽な"仕事とはいえあまりに低額なギャランティ対し、この損害の大きさは、すこし大袈裟に言えば、天文学的数字だ。
狭く足場の悪いなか位置決めに三脚を立てていた。油断だった、その瞬間何かのはずみで一本の脚が足場を外れコンクリートの床に倒れた。あくまで位置決めの為のカーボン製で細い軽量な三脚だったことも不幸中の幸いだったか、重量エネルギーの殆どはカメラとレンズのそれで、おそらく大きなレンズフードが先ずそれを受け止め、吸収しきれなかったエネルギーが最終的にPCレンズのシフト部を破壊したようである。どこにも床との接触痕がみられず、カメラもシューに装着していたフラッシュコントロールのトランスミッターも異常は感じられない。無論、撮影は、心の動揺を隠し、バックアップ機材で恙無く終了したことは言うまでもない。そこはプロだからね。
この時期である、収入に不安な今だから、最小限の修理料金で済むことを切に願うのである、が、再開が発表されたとはいえ、未だプロサービスは閉鎖中。
2020-06-02 12:27