2025年1月11日 記録の記憶。 [カメラ]

Canon PowerShot G1
輪島の朝市である。
能登には、まだ輪島まで列車で行けた頃から、仕事で幾度か行っていた。その何度目かの輪島朝市だ。
能登には、まだ輪島まで列車で行けた頃から、仕事で幾度か行っていた。その何度目かの輪島朝市だ。
データのEXIFによると2002年12月21日撮影だ。当時は当然、仕事はフィルム撮影であるからポケットに入れたコンパクトカメラは言わばプライベートな記憶の記録用である。かつて日常携帯していたコンパクトフィルムカメラの交換フィルムという追加負担を、小さなメモリーカードのコンパクトデジタルカメラは解消してくれた。
ビーチパラソル一つで、大きな俎板に氷見の寒ブリの半身を置いたおばあちゃんの店が出ていた。買い手が金額を言うと、この位とブリの上を出刃包丁で指し示す。買い手が納得すると、おばあちゃんはおもむろにブリを切り始める、さっきの位置より二回り位大きく。
朝市の、能登の復興が成りますように
2025-01-11 13:21
2024年8月15日 真夏の湘南海岸。 [カメラ]


古いアルバムからの写真だ。
写真の裏に”自昭和18年7月30日至8月4日 海兵団当時 辻堂演習場 陸戦隊”とある。
若者、真夏、湘南海岸とキーワードは正しい、しかし結果が間違っている。
2024-08-15 18:38
2024年7月1日 万能。 [カメラ]

Nikon D850 PC-E85mm
NIKKOR Z 24-120mm f/4Sである。
内緒の話だけど、、実はズームレンズで「製品写真」を撮ってしまった。世が世なら4x5(シノゴ)で臨むところ35(サンゴー)で、然も事もあろうにズームレンズで撮影してしまった。
カメラがサンゴーだった点は、まあ、デジタルフォトの世が世だからそう言うものだ。シノゴに比べ小さな画面で浅い絞りで被写界深度が得られる。即ち少ない光量、つまりカメラを含めコンパクトなセッテイングで撮影出来る事は何よりの利点だ。取り敢えず4500万画素有れば製品写真にもそう不足は無い。だからそれは良い。問題はレンズだ。ブツ写真の場合選択するのは単焦点レンズである事が言わば定石である。それは、アオリが使える事やそれ以上に、シンプルな設計のレンズの方が各種収差の不安が少なくカタチや細部が重要な特にブツ写真には有利だからという理屈で、要はズームレンズはどうしても性能がと言う思い込みが理由だ。
ザッとライト回りをセットして、被写体の大きさに対し経験値に基づいた焦点距離の単焦点レンズを装着してファインダーを覗いた。ところがそこに見える被写体が予想以上に大きく、つまりヒキが足りない状態なのである。長年培った感覚を失ったかと失望しつつ広めのレンズとしてやむ無く交換したのがこのレンズだ。ちなみに、何らかの操作ミスでAPS-Cサイズにクロップされていたのが画角が狭かった理由であって、それに気が付いたのはシャッターを切る直前に、ニコンで言うところのDXサイズ警告点滅をファインダー右上にやっと見つけたからである。
果たして、このズームレンズで撮られた「製品写真」は何の問題も無かった。ミラーレスカメラになってニコンもRAWデータにも積極的にカメラ内でのデジタル補正を埋め込んでいる様子で、ズームだからと懸念されるような欠点は見つからない。そもそも24-70mmでもう少し長さがと言ういつもの不満の解消を期待して購入したレンズだ。開放F値が4である事はEVFでもあるし、120mmまでF4である事で不足は無い。だからここまで開放から均一でシャープでコントラストに満ちた写りである事は予想以上だ。それが意図的か機械的限界かは解らないけれどテレ側で少し緩くなる写りもヒトを写す上では悪くは無い。
良いレンズだ。超広角から望遠まで、そしてビックリするほど寄れてキチンと写る。万能レンズだ。ただRAW動画の編集中デジタルドーピング以前の歪曲した広角画像に少し手こずる事も有るけれど。
2024-07-01 23:30
2024年5月8日 眼福。 [カメラ]

Fujifilm X-T2 XF18-55㎜
写真展である。
東京ミッドタウンにある富士フイルム スクエアでの写真展だ。
アンセル・アダムスのポートフォリオ展に加え、ゴールデンウィークに合わせる様に、フジフイルム・フォトコレクションII展が始まった。
これがコレクションの全てなのか、選別されたものかは兎も角、年代を追ってわかりやすい写真家の作品を網羅している。つまり写真の教科書に載るような“あの写真”たちがたっぷりな大きさの美しいプリントで並んでるのである。特に、当然多くを占めるモノクロフィルムからバライタ印画紙へと醸し出される『白黒写真』の存在感に圧倒されてしまう。印画紙の紙白を起点とするハイエストライトから黒化した銀粒子が描き出す白黒写真は美しく力強い、と、至福の空間で最早哲人を気取ってしまうのである。
帰宅後、ついAmazon prime で『ゴジラ-1.0/C』を観た。何しろ白黒写真に感化された哲人のままだったから。『ゴジラ-1.0/C』はデジタルVFXで生まれた最新のゴジラの、初代オマージュのモノクロ版だ。うん、白黒はかくも奥深く、そして難しい。
2024-05-08 17:29
2024年5月1日 Ayrton Senna da Siivaの写真。 [カメラ]


Pentax LX SMC A*600mm
1991年の鈴鹿でのアイルトン・セナである。
当時はF1ブームだった。その先頭は間違いなくアイルトン・セナだ。セナの操るホンダエンジンはそれこそ無敵だった。中嶋悟のラストランだったこの91年の鈴鹿でセナは3度目のワールドチャンピオンを決めた。
当時はF1ブームだった。その先頭は間違いなくアイルトン・セナだ。セナの操るホンダエンジンはそれこそ無敵だった。中嶋悟のラストランだったこの91年の鈴鹿でセナは3度目のワールドチャンピオンを決めた。
その3年後のイモラで、あの衝撃的なクラッシュで亡くなって今日で30年だ。
2024-05-01 23:34
2024年4月8日 満開。 [カメラ]

Nikon D850 AF-S 24-70mm
サクラは満開。
備忘録である。その宣言は兎も角、見た目にも其れは満開だ。寺と公園と、並木通り。ご近所は一応桜の名所だ。期待以上に良く晴れた日曜日、カメラを首に外出するのは言わば強迫観念の為せる術だ。
『写真』を撮るのが難しい。だから満開のサクラに対しては、記録だ備忘録だと言い訳を呟きながらシャッターを切るのである。結局、今年も。
2024-04-08 23:40
2024年4月2日 花より 。 [カメラ]

Fujifilm X-T2 SMC-P Soft 85mm
桜である。
実のところ、それがどうした、の、開花宣言は出たばかりなのに明日からは天候不順という事で、桜を愛でに、正確には開花を記録しに、出かけた。出かけたと言っても、その言葉がおこがましい程近所なのであるが、桜の名所とされるその辺りに、カメラを携えてのお散歩である。
その昔、華道の師範でもあった母親から散々花の愛で方を伝えられたのでは有るが、悲しいかなピンと来ないまま齢を重ねてしまったのである。きっと、それは、当時学校から帰ると自宅の華道教室に同級生だの後輩だのの女子が居る事が照れくさかったせいだと、遠い思い出が理由付ける。
ペンタックスのSoft 85mm F2.2をX-T2に併せた。Kマウントのアダプターをそれしか所有していないからではあるけれど、今だにX-T2は“十分”だ。
6x7用の交換レンズとしてイマコンの200mmをカタログに載せていたペンタックスが、マルチコートされた近代的レンズで作ったベス単レンズとして発売したのがこのレンズだ。ベスト判単玉フード外し、往年のソフトレンズのありようをまんまそのままKマウント交換レンズになったのだから、おおっ!と即購入したのはもう数十年前である。何しろベス単だから、マウントと同径の直進ヘリコイドの先に大きな1群2枚のレンズが付いているだけ、つまり時が経ようと劣化のしようもないのである。
十分とは言え、APS-CのX-T2では85mmは望遠だ。本来周辺の画質の向上にX1.4のテレコンバーターを用いるのだけれど、それでは超望遠になってしまう。そしてX-T2のEVFではピントが難しい。もはや桜より、写真を撮ることが主題だ。
2024-04-02 16:07
2024年3月6日 半分の不満か倍の満足。 [カメラ]

PENTAX K10D DA16-45mm
ペンタックスから新製品のアナウンスが、新型のフィルムカメラをこの夏に発売予定だと言う。しかもゾーンフォーカスで手巻きでマニュアル露出も出来そうな、ハーフサイズカメラらしい。
ヒトも変わり疎遠になって久しいペンタックスだけど、モノクロ専用機に続き、らしさは健在でついついニンマリしてしまうのである。
web上ではハーフサイズ、つまり35ミリフィルムの半分というフォーマットに、画質が悪いと懸念する声が姦しい様子だ。まあ確かに、フルサイズデジタルカメラをAPSサイズにクロップすれば応じて画質が低下する事を実感してしまうし、何より銀塩フィルムはサイズの大小が解像度の良否である事は厳然たる事実だ。だからお仕事ではシノゴの使用率が高かった。とは言え、銀塩写真を取り巻く厳しい現状を鑑みればハーフサイズカメラであることの意味はペンタックスの思惑のとおりだろう。ペンタックスのチャレンジの成功を祈りたい。
銀塩写真を取り巻く環境といえば、家のあちこちから、中にはそれこそカメラの中から未現像のフィルムが出てきたのである。モノクロネガにカラーネガ、更にはリバーサルまで10数本。以前の現像液崩壊以来現像液は入手していない。そもそもT-maxデベロッパーなんて売ってるのか。何処にしまったのかダークバッグが見つからない。クリエイトはホリウチは何処に残っているの。
銀塩写真を取り巻く現状は如是厳しいのである。
唐突だけど写真のカメラは『フジカ ドライブ』。写真に興味を持った小学生の頃から持ち出して撮っていたカメラだ。自動露出もマニュアル設定も可能なレンズシャッターの目測式フォーカスの2.8cmF2.8フジノンレンズの高級感溢れたコンパクトカメラだ。勿論、ハーフサイズ。







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2024-03-06 18:00
2024年2月27日 カメラで写真を。 [カメラ]

Asahi Pentax SP SMC-T 55mm
1977年の『日本カメラショー』の写真を今一度。
場所は日本橋高島屋である。長らくカメラショーは高島屋、写真用品ショーは大丸だった。プロ向けのIPPFは北の丸の科学技術館から後年サンシャイン60に移って開催されていた。高島屋に言わせると、大挙して押し寄せるのだけど、買い物はおろか食事すらすることも無く真っ直ぐ(用品ショー会場の大丸へと)帰ってしまうあまり有り難くないお客様だったそうである。
大盛況なこのシーンは、メインステージでのおそらく著名写真家による撮影のデモンストレーションだ。ライティングに使われているのが1kwスクープライトというあたりに時代を感じてしまうのだけれど、それ以上に、この場でのモデルの露出度の高い水着は、きっと、今では「不適切」。
2024年現代の日本カメラショーたる『CP+』が閉幕した。もう、暫く、実際に会場に足を運んでは無いのだけれど、決してカメラに興味を失った訳ではない。勿論、「不適切」なモデルさんが望め無いからでも決してない。
写真や映像はスマートフォンの中だけで完結する時代になって久しい。きっと撮影中の見映えを無視すればオリンピックをスマホだけで記録しても何ら不足は無いかも知れない。ハイエンドミラーレスカメラもスマホも結局カラクリは一緒だ。撮影という被写体情報の入力行為がハードウエア先行なのかソフトウェア先行なのかの違いでしかない。ましてや急激に進化するAiジェネレーターの生成する画像映像は最早カメラそのものの存在すら無用としている。
でもね、写真は(映像は)カメラで撮りたいのよ。仕事だし趣味だしね。ファインダーを覗いてそっとシャッターを切りたいわけよ。だから、新しいX100VIを二回り小さくしてEVFだけにしたカメラか、GR IIIxにEVFとストロボを内蔵してまともな4K動画性能を持たせたカメラが『カメラショー』で華々しくアンベールされる時を期待しているワケさ。
2024-02-27 22:28
2024年1月20日 後継、もしくは進化。 [カメラ]

Nikon D600 PC-E85mm
今更、かも知れないけれどニコンのZ 8だ。
散々逡巡して結局、買った。
とても、逡巡した。なにしろ、Zマウントミラーレス立ち上がりの機種は些か期待外れだったし、満を持してのZ 9の大きなボディや高速連写など全く不要だし、だからニコンのミラーレス攻勢は蚊帳の外から傍観していた。見て見ぬふりとも言えるかも知れないけれど。
巷の話題では、Z 8はD850のミラーレス版らしいのだけれど、それならD850(のまま)でいいじゃんと貧乏性の性が囁いた。その通り、仕事でも趣味でもD850の写りに不足は無い。ミラーレスカメラに期待する利点の動画機能だって、かのX-T2のLog撮影でもまあまあそこそこ賄えてるしね。初期の噂の60Mの高解像度には色めき立ったけど蓋を開けたら結局D850と同じ45M、しかもミラーレスカメラだからと小型化を期待するボディサイズもD850なみ。そこはフラッグシップのZ 9と同等性能というけれど、だからZ 9の性能なんて要らない。しかも高価だ。D850からレフレックスミラーや高精度の機械シャッターや緻密に組み込まれたAFシステムを省いているにも関わらず、高価だ。買わない理由は枚挙にいとまがなかった。
受け取って五日ほど、セッティングと操作の慣熟の最中だ。それは高価故か或いは新しいからか、なるほど滑らかにしっとり肌触りの良いカメラだ。ニコンカレッジで動画の教室を持っていた頃にZ 8があったらと遠い目をしてしまうほど素晴らしい機能でもある。良いカメラな事を訝しむ術は無い。ただ、いまだに買った理由付けを探して心穏やかでは無いのも事実だ。
散々逡巡して結局、買った。
とても、逡巡した。なにしろ、Zマウントミラーレス立ち上がりの機種は些か期待外れだったし、満を持してのZ 9の大きなボディや高速連写など全く不要だし、だからニコンのミラーレス攻勢は蚊帳の外から傍観していた。見て見ぬふりとも言えるかも知れないけれど。
巷の話題では、Z 8はD850のミラーレス版らしいのだけれど、それならD850(のまま)でいいじゃんと貧乏性の性が囁いた。その通り、仕事でも趣味でもD850の写りに不足は無い。ミラーレスカメラに期待する利点の動画機能だって、かのX-T2のLog撮影でもまあまあそこそこ賄えてるしね。初期の噂の60Mの高解像度には色めき立ったけど蓋を開けたら結局D850と同じ45M、しかもミラーレスカメラだからと小型化を期待するボディサイズもD850なみ。そこはフラッグシップのZ 9と同等性能というけれど、だからZ 9の性能なんて要らない。しかも高価だ。D850からレフレックスミラーや高精度の機械シャッターや緻密に組み込まれたAFシステムを省いているにも関わらず、高価だ。買わない理由は枚挙にいとまがなかった。
受け取って五日ほど、セッティングと操作の慣熟の最中だ。それは高価故か或いは新しいからか、なるほど滑らかにしっとり肌触りの良いカメラだ。ニコンカレッジで動画の教室を持っていた頃にZ 8があったらと遠い目をしてしまうほど素晴らしい機能でもある。良いカメラな事を訝しむ術は無い。ただ、いまだに買った理由付けを探して心穏やかでは無いのも事実だ。










2024-01-20 13:46