2013年9月22日 秋来たりなば春遠からじ。 [日常]
Panasonic LUMIX FX500
猫の話である。
あの猫「福」の避妊手術を行ったのである。もっとも、雄であるから去勢手術と言うべきであろう。
ベランダから招き入れた当初は、そもそもがオスメスの区別すら不明瞭な屈託の無い子猫であったが、やがてピンと尻尾を跳ね上げた後ろ姿にプルンプルンとしたモノが目立つようになってきた。柔らかそうな短い毛に包まれた、つまりキ◯タマである。以前の外飼いだったあの猫もかつて実家に居た猫達も雌猫ばかりだった記憶の中、日々大きさを増すそのプルンプルンしたモノは興味深く、かつ触れたい欲求を禁じ得ない存在感を放つのであった。勿論、その欲求を抑えるのが同性としての礼節であることは言うまでもない。
都会で猫を飼うことの責任と不幸な猫を増やさない為という、あくまで人間側の都合で去勢手術を行った。子孫を残し種の保存という生物の本質を否定してしまうことには些かの後ろめたさは否めない、ただ少なくとも都会では人間の正義は間違っていない。
一泊の入院の翌日獣医の外の道まで響く鳴き声は、「福」のものであった。迎えを心待ちにしている健気な姿に親バカ全開で手術を労い、優しく話しかけたことは言うまでもない。
はたしてあのプルンプルンしていたモノは、なんとも情けないしおれた小さな付属品として、取り敢えず股間(?)にあるのである。術後が痒いのか痛いのか、あるいは気になるのか時折舐めている、きっと急に無くなったんで歩きづらかったりするのだろうと想像するのは同性だからだ。
性格は変わった。甘えてるくせに反抗期を迎えていたかのような性格が術後明確に変化した、大興奮での大暴れは影を潜め表情もより幼かった頃に戻ったようである。そして何よりお喋りになった、目が合うと常に何か語りかけてくるのである。ただ、気になるのはその声だ。声も明確に変わったのである。
きっと甘えてなにか言っているのだろうその声は、少し低くてざらついた、つまりオネエな人たちのそれと同じようなのである。猫もやっぱり、なのであろうか。
2013-09-22 20:12
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