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2013年9月14日 針小棒大。 [カメラ]

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Nikon D600 AF-s24-70mm

相変わらずな昨日の話だけど、国立新美術館に行ってきた。
アンドレアス・グルスキー展である。

以前「写真史上最高額で落札」と報じられて以来気になっていたのである。つまり野次馬的欲求の満足が第一義的目的である、とは言え写真家を気取って芸術に勤しむふりを繕いつつ出掛けたことは言うまでもない。

因みに近くのフジフイルムスクエアでは、「旅する惑星」と題する展示と木村伊兵衛の”プリミティブな”写真が楽しめる。行って撮ったという実にプリミティブな写真だ。

ラムダかライトジェットでの巨大なプリントで構成されたアンドレアス・グルスキー展は作品の前に線が引かれ、入り口でタイトルと簡単な解説の書かれたペラと共に線を超えると警報がなることを告げられるのであった。もっとも、線を踏み越える観客は多かったが警報音が聞こえることは無かった。そもそもが情報量の多いプリントの細部を、例えば高画素のデジカメデータをモニターで100%表示で仔細に観察する様に、鑑賞するのがアンドレアス・グルスキーの作品だと思っていただけに予想以上に大きい額装されたプリントと共に、その線は些かの違和感である。

展示と記載のタイトルのずれが散見される解説ペラは、まるであの国の国営放送のように慇懃無礼に大仰に作品を紹介しているのが少し可笑しかった。特に何度か出てくるデジタル技術と言う表現に、つまりフォトショップで消したよ合成したよと言うことだよね、と内心ツッコミながら鑑賞してしまう失礼はお許しを請うのである。

ただ正直なところ会場半分くらいで飽きてしまった。ツッコミにではなく鑑賞にだ、当然だが。

きっと野次馬根性全開で会場にいる不遜な凡人の理解を超えてしまったのであろう、ちっとも面白く無いのである。画面全体に収差もピントも補正され時差も合成され平面的に圧縮された風景は、それはそれで素晴らしいのだけど、それに対しブレやボケなどリアルな写真らしさが残った作品に違和感を感じ、既視感満載の人工衛星からの地表を切り貼りした作品には魅力を見いだせ無いのである。

要するに己が審美眼の貧相さの露呈なのだろう、写真史上最高額の作家に対し入場料の1,500円を妙に高価に感じてしまうのであった。

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