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2010年3月19日 ドーハの安堵。 [日常]

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Fujifilm S3pro AF-S28-70mm

クロマグロである。
サッカーファンには忘れ得ぬ地で開催されていたワシントン条約締結国会議で、日本の懸念した大西洋のクロマグロ禁輸案が否決されたと言うニュースが、昨日バラエティ番組にオーバーラップされて速報された。当然今日の新聞でもTVでもトップ扱いである。

鮪が食べられなくなるというような極端な論調が多く見受けられたのは、年間40トン以上も鮪を食べてる日本ならではの切迫した危機感だったのだろう。しかし、禁輸が議論されたのは大西洋のクロマグロに対してである。高級な本鮪と呼ばれるクロマグロの禁輸への声高な危惧に実感を伴えないのは、きっとアタシを取り巻く経済環境のせいであろう。

ただ、この会議を報ずる記事の下に載る回転寿しチェーンの広告は、偶然だったのか食べ納めを意図させて掲載したのかは定かではないが好印象ではなかった。さらにTVのニュースの酔客のインタビューや雑に鮪を食べる映像はあまりに不快であり、もしかすると禁輸賛成派の情報操作の目的で作られたかと勘ぐったのはマグロ好きの深読みだろうか。

クロマグロという生命の種の保護が論旨の賛成派に対し日本は食文化という大義名分を掲げて対抗していた、勿論裏には捕鯨も含め水産資源を買いあさる日本へのバッシングと自国の経済を保ちたい水産資源輸出国の日本擁護という争いだったであろうが、日本の独自の食文化は尊重されるべき論点であったはずである。しかしそのニュースの映像は軽薄な発言とともに雑に鮪を食べるノーテンキな酔客たちであった。便乗値上げで庶民のマグロも遠のく危機が去った事を伝えるつもりだろうその映像は食文化の終焉を感じさせるにも十分だった。

かって給食でクジラの立田揚げを食べさせられたアタシは、確かに当時数少ない美味しいおかずだった事や本で読んだキャッチャーボートと母船からなる格好良かった捕鯨船団の記憶は残るが鯨肉に対する思いは何も無い。その給食以外鯨肉を食べる習慣も欲求も持ち合わせてないである、だからグリーンピースの行動は容認出来ないが調査捕鯨の必要性も理解出来ていない。先日オスカーを受賞した映画の題材のイルカ漁に対しても同じ思いである。アタシの故郷の近くの港でも同様な漁をしていた、高台を走る電車の窓から緑に近い海の色が湾内だけ朱色になって所々白く泡立っている様子を見た事がある。それらは良か悪かで論じるもではなく、伝統と文化で語られる人間の営みであろう。例えばガイジンだったCWニコルの『勇魚』は捕鯨と言う日本の文化の継承を語っている。

先日TVで日本語を学ぶチリの老人が、日本人は他人への尊敬を文化として持っていると孫娘に身振り手振りを交えて説明しているのを観た。ガイジンの方が良き文化の理解者である。彼らと件のニュース映像の日本人との違いは大きい。クロマグロを食べる文化を主張するニュースは、「いただきます」「ごちそうさま」と食事に食物への尊敬をも抱く日本の文化の存在を再確認させるのでもあった。

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