2020年12月4日 今川、あるいは大判もしくは回転。 [お気に入り]

Nikon D850 AF-S60㎜
博多屋の今川焼である。
実は、もう随分昔の記憶なのだけど就学前の、まだ板橋に住んでいたころ母親が今川焼屋をしていた。今川焼屋をしていたというなんとも不自然な日本語になってしまうのは、我が家は普通の家だったからだ。それはつまりサザエさんの家のような玄関に、ある日突然今川焼の機器が運び込まれ母親がひょいひょいと今川焼を焼きだしたのである。近所の人たちがまるで回覧板を届けるように玄関をガラガラっと開け「くださいな~」と声をかけてくる。母親はニコニコ応えて求められた数を白い紙袋に、最後に袋の両端をつまんでクルっと一回転した後折り込んでお渡しするのがスタイルだった。
そう長くないうち我が家の今川焼屋は廃業した。普通の玄関に戻ったある日、「今川焼一つちょうだいな~」と当時の自分と同じくらいの男の子が硬貨を力一杯握りしめてやってきた。不在の母親に代わって今川焼屋さんを止めてしまったことを伝えた時の男の子の悲しそうな顔は今も鮮明な思い出だ。
さて、博多屋の今川焼だ。博多屋は町屋の駅前にある。とは言え町屋には駅が三つもあって、しいて言えば地下鉄駅の入口の上で都電の駅の前である。目的地に向かう道すがら偶々見つけたのだけど、名物今川焼という看板と、カレーだのピザだのと日和ることなくつぶあんの正当今川焼であることを素通りできないのはアンコ好きの性だ。
大きな今川焼である。おそらく標準的な今川焼の1.5倍から2倍くらいのアンコが詰まっているのである、一個140円にしてこのコストパフォーマンスはアンコ好きには至福の一個だ。だからもし夕食後の甘味になどと企んでいるのであれば考えを改めた方が良い、この大きさは甘党の別腹にも些か厳しい。ただ惜しむらくは、そのアンコの味がもう一つなところだ。例えばうさぎやのそれの上品さまでは望まないにしても、今川焼屋を再開することはなかったけれど母親が折に触れて炊いてくれたそれのまろやかさにも足りなく感じるのは、美化された思い出なのだろうか。
2020-12-04 23:45
Facebook コメント