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2010年6月14日 おかえりなさい。 [日常]

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PENTAX *istD DA16-45mm

おかえり。ごくろうさま。
勿論、JAXAの小惑星探査機「はやぶさ」にむけてである。壮大な空間を超え満身創痍の小さな宇宙船が昨日の夜使命を終えて文字通り燃え尽きたのである。

因に今日の写真は、筑波宇宙センターで以前撮ったモノで、解りにくいが「きぼう」のエンジニアリングモデルとビニールハウスの様なものの中の船外実験プラットフォームである。

宇宙開発の歴史と同じ時間を共有してきたためか、宇宙に対する憧れや興味は深いのである。内之浦という地名にさえときめいてしまうのである。おそらく同世代のオヤジたちはすべからくそうなのだろうと勝手に納得している。少年漫画誌の巻頭特集からTV、映画と好奇心を助長させる環境は整っていた。

どの国も宇宙を往く船に素敵なネーミングをしている。「はやぶさ」は、そのミッションにちなんで地上の獲物をさっと獲って急上昇する鳥のハヤブサに肖ったそうだが、同時に目的地の小惑星「イトカワ」の名の元になった糸川英夫博士が設計に関わった旧帝国陸軍機の『一式戦-隼-』をも意味していると言うエピソードは、さらに胸躍るのである。初期案として自立航法が可能な言わばロボットなこの探査機にはアトムという名も準備されたものの、原子爆弾などを連想させる懸念から見送ったともいう。

「はやぶさ」は君付けで擬人化されている。想像を絶する距離を絶望的な故障を抱えながらも、管制室の指令以上の動きを見せながら健気に故郷の星を目指す様子には、当然感情移入は禁じ得ないのである。随分以前、はるか外宇宙を目指すNASAの「ボイジャー」を特集するTV番組があった。『浜辺の歌』の英語バージョンをバックに擬人化された一人称のナレーションにウルウルしてしまった過去を持つアタシである。

「はやぶさ」は、それこそボロボロになりながらも故郷を目指し、使命を果たしてバラバラに燃え尽きたのである。余力が無く星になる当初の最期はかなわず、故郷をその目であるカメラに捉えさせたいと言う”父親たち”の最期の望みまで成した姿には号泣ものである。今朝の読売新聞の一面のカプセルの光跡の後ろで火球となっている「はやぶさ」最期の写真は見事だった。またカプセルの小さな光跡を見届ける様にバラバラになりながら後ろを飛ぶニュース映像も感慨深いのであった。

「イトカワ」の着陸地点の名称募集にも当然応募したアタシだが、同様なファンの多いせいかJAXAのWebでの中継が繋がらないのであった。日曜日の昨日はその時間帯には一つの報道系番組しか無い。春の番組改編で登場した関西の人気キャスターを目玉にしたワイドショーなその番組は、コメンテーターと言う設定のタレントとの掛け合いで進行する今更な作りのうえ放送時間帯を完全にはき違えている事もあって、今まで視聴する事は無かったのであるが、時間も適切であることから「はやぶさ」の情報を多少なりと期待しアルジェリアVSスロベニアをさいてチャンネルを合わせたのである。

恐れていた通り、関西弁の無意味でつまらないコント(?)や内容の感じられないコメントに耐えながら見続けたこの熱心な視聴者に「はやぶさ」の情報が伝えられる事は無かった。がっかりである。がっかりと言えば「はやぶさ」を支えたテクノロジーを生かした後継機は昨年の『何故一番を目指さなくてはいけないのか』とノーテンキなパフォーマンスだった事業仕分けで制作は困難になっていたと言う。因に丸の内の広報施設JAXAiは今年の事業仕分けで廃止が決められた。

かけ声と行動がバラバラで、なんだか迷走したまま帰り道も失ったような政を担う皆様も「はやぶさ」の冒険談を参考にされた方が良いのでは、などと想う梅雨入りの今日である。

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