2018年9月13日 魚河岸だんご。 [お気に入り]
FUJIFILM X-T2 XF18-55mm
茂助だんごである。
きっと、言わずと知れた、東京は築地市場の団子である。抑えられた甘みと得も言われぬコクのバランスが美味しいアンコが魅力だ。
ほぼ一月後の来月11日に豊洲市場が開場する。つまり、いよいよ、すったもんだの末築地市場はその五日前に営業終了し引っ越しである。そこで、東京都民の一人として、何かとお世話になった築地市場を記憶すべく借別に出かけた。当然である。決して物見遊山な下心など無いに決まっている、つもりである。
都内に11か所ある公設の東京都中央卸売市場の一つとは言え、世界最大規模の築地市場は、当然今日も変わらず早朝から活況を呈している。確かに、築80年の市場は、鮪をさばく佐々木小次郎の刀のごとき包丁をふるうには仲卸さんの前の通路は些か狭いように思う。そんな仲卸さんの店内の壁に日付と豊洲の文字が書き込まれたメモが貼ってあった。移転前の事前習熟体験の日程だそうだ。市場移転は目前の現実なのだ。
帰りしな2軒隣で印度カレーとビーフカレーの合掛けを食べた後、茂助だんごのつぶ餡を買った。どちらも引っ越しだそうだ。そういえば茂助だんごの包装には『築地魚がし』とある、これは来月には『豊洲魚がし』となるのだろうか。しかしそう語呂は悪くはない。門外漢としてみれば、中の人が気にするほど築地の名前にこだわりはないように思うのではある。
2018-09-13 20:37
2018年3月10日 おやつの時間。 [お気に入り]
Nikon D850 AF-S MICRO 60mm
おやつ、である。
おやつ、である。
そこは甘党であるが故、例えばクリスピークリームドーナツのオリジナルグレーズドなどをチョイスなのである。無論、糖分という主要成分に若干の後ろめたさを伴うのはいつものことだが、結局その甘い誘惑にいとも簡単に取り込まれるのも、また、いつものことだ。
先日記したように、春の、カメラマニアたちの、お祭りたるCP+が先週開催された。今年は昨年を上回る会期中の総来場者数だったと、その後発表された。とは言え個人的には何とも代わり映えに乏しく盛り上がり無い催しに感じてしまったのであるが、まあそれは、あくまで個人の感想だ。
いつものような会場で、ミスタードーナツの小さなブースを見つけた。まさに発見したのである、掬い取った砂粒の中に砂金を見つけたようと言ったら少々大袈裟に過ぎるが、砂漠にオアシスと形容するのはあながち間違ってはいないはずだ。念のため、ミスド謹製のカメラが並んでいるわけでは無かったことを先ず伝えておこう。ようは小さなガラスケースに数種類のドーナツを並べ、どれも一つ100円で販売していたのである。大小の写真関連のブースが並ぶ中、キャンペーンでコーヒーを無料で振舞ってくれたネスレのブースと並んでオアシスが形成されていた。
広い会場を巡る中、ドーナツとコーヒーでの一息は裕福な時間だ。いつもの、チョコファッションを食べながら、今年のCP+で最良のブースを選出するのであれば、間違いなくこのミスドとネスレだと確信したのは、決して甘党の贔屓目だけではない、と思う。
先日記したように、春の、カメラマニアたちの、お祭りたるCP+が先週開催された。今年は昨年を上回る会期中の総来場者数だったと、その後発表された。とは言え個人的には何とも代わり映えに乏しく盛り上がり無い催しに感じてしまったのであるが、まあそれは、あくまで個人の感想だ。
いつものような会場で、ミスタードーナツの小さなブースを見つけた。まさに発見したのである、掬い取った砂粒の中に砂金を見つけたようと言ったら少々大袈裟に過ぎるが、砂漠にオアシスと形容するのはあながち間違ってはいないはずだ。念のため、ミスド謹製のカメラが並んでいるわけでは無かったことを先ず伝えておこう。ようは小さなガラスケースに数種類のドーナツを並べ、どれも一つ100円で販売していたのである。大小の写真関連のブースが並ぶ中、キャンペーンでコーヒーを無料で振舞ってくれたネスレのブースと並んでオアシスが形成されていた。
広い会場を巡る中、ドーナツとコーヒーでの一息は裕福な時間だ。いつもの、チョコファッションを食べながら、今年のCP+で最良のブースを選出するのであれば、間違いなくこのミスドとネスレだと確信したのは、決して甘党の贔屓目だけではない、と思う。
2018-03-10 17:32
2017年12月21日 タイヤキヤケタ。 [お気に入り]
Fujifilm X-T2 SMC PENTAX-A macro 50mm
たい焼きである。また。
先日(相変わらず日を置いている点はご容赦を)、我がシトロエンC5tourerを車検に出した。なんだかしょっちゅ車検をしているように感じるのは、きっと気のせいだろう。ともかく、普段ほったらかしの事もあり、整備を含め何時ものように目黒サービスポイントに入庫した。
かつてBXを購入した西武自動車目白営業所が目白通り沿いに位置していたから、その名称(おそらく)だったように、目黒サービスポイントも目黒通り沿いで、最寄りの駅は学芸大学なのである。
その駅の北側に人気のたい焼き屋さんがある。『目黒ひいらぎ』は入念な炊き方の餡と30分以上じっくりと焼き上げることが拘りだそうだ。ちなみに関西から東京に進出した恵比寿の『ひいらぎ』の流れをくむのだと、参考に後日開いたwebサイトにそうあった。
見た通り端正なたい焼きである。当然、30分以上かけて焼くというのであるから一丁焼きでは無く、昨今の分類に則すれば養殖モノという事になる。対面カウンターから暖簾越しに焼き機が並んでいるのが見える。おそらく低温でゆっくり焼くからだろうその皮は破れや焦げも無く端正な佇まいである。天然モノの雄である東京の老舗の野趣あふれるそれとは様相を異にしているが、それは好みの問題であろう。
端正な姿から大量生産されたたい焼き状の菓子を想起してしまうが、このたい焼きは見事なまでに薄く、それでいて存在感を失していない皮がたっぷりとした上品な甘さの粒あんを包んだ、正統たい焼きだ。皮はすべての方向に薄い、つまりパーティングライン方向にも薄く、結果、頭からしっぽまでアンコがぎっしりという事だ。アンコたっぷりの頭から食べ進め、皮のみのしっぽの先で口中を整えるといった好みの食べ方は出来ないものの、結局アンコ好きの身には至上のたい焼きである。
熱々が嬉しい店頭で一匹食し、お土産にたい焼きとアンコのみも購入とまんまと店の術中にはまってしまったのは、甘党の性だ。
店頭の熱々は当然美味しい。とは言え、数時間後に、そのインストラクションに従って温め直したそれは、気のせいかよりアンコや皮の旨味が増して感じた。なんにしろ持ち帰っても旨いのは間違いないたい焼きである。そして当然持ち帰りのアンコは美味しい。たい焼きとして皮と餡のマッチングは見事で、実に美味しいたい焼きであるが、しかし、おそらくたい焼きの体内で、30分以上も、火を入れられない事もあるのかアンコ自体の味はより品よく美味しいのも特記事項だ。
たい焼きのみを主商品とする商売の維持は困難であろうことは想像に難くない。贔屓だったたい焼き屋や今川焼屋が気付くと店を閉めていることは何度となく目にしている。それでも願いたい、味の多様化による販路を広げようと、たい焼きの体内にクリームや、あまつさえカレーやピザソースを封入するような暴挙に出ないことを。
たい焼きである。また。
先日(相変わらず日を置いている点はご容赦を)、我がシトロエンC5tourerを車検に出した。なんだかしょっちゅ車検をしているように感じるのは、きっと気のせいだろう。ともかく、普段ほったらかしの事もあり、整備を含め何時ものように目黒サービスポイントに入庫した。
かつてBXを購入した西武自動車目白営業所が目白通り沿いに位置していたから、その名称(おそらく)だったように、目黒サービスポイントも目黒通り沿いで、最寄りの駅は学芸大学なのである。
その駅の北側に人気のたい焼き屋さんがある。『目黒ひいらぎ』は入念な炊き方の餡と30分以上じっくりと焼き上げることが拘りだそうだ。ちなみに関西から東京に進出した恵比寿の『ひいらぎ』の流れをくむのだと、参考に後日開いたwebサイトにそうあった。
見た通り端正なたい焼きである。当然、30分以上かけて焼くというのであるから一丁焼きでは無く、昨今の分類に則すれば養殖モノという事になる。対面カウンターから暖簾越しに焼き機が並んでいるのが見える。おそらく低温でゆっくり焼くからだろうその皮は破れや焦げも無く端正な佇まいである。天然モノの雄である東京の老舗の野趣あふれるそれとは様相を異にしているが、それは好みの問題であろう。
端正な姿から大量生産されたたい焼き状の菓子を想起してしまうが、このたい焼きは見事なまでに薄く、それでいて存在感を失していない皮がたっぷりとした上品な甘さの粒あんを包んだ、正統たい焼きだ。皮はすべての方向に薄い、つまりパーティングライン方向にも薄く、結果、頭からしっぽまでアンコがぎっしりという事だ。アンコたっぷりの頭から食べ進め、皮のみのしっぽの先で口中を整えるといった好みの食べ方は出来ないものの、結局アンコ好きの身には至上のたい焼きである。
熱々が嬉しい店頭で一匹食し、お土産にたい焼きとアンコのみも購入とまんまと店の術中にはまってしまったのは、甘党の性だ。
店頭の熱々は当然美味しい。とは言え、数時間後に、そのインストラクションに従って温め直したそれは、気のせいかよりアンコや皮の旨味が増して感じた。なんにしろ持ち帰っても旨いのは間違いないたい焼きである。そして当然持ち帰りのアンコは美味しい。たい焼きとして皮と餡のマッチングは見事で、実に美味しいたい焼きであるが、しかし、おそらくたい焼きの体内で、30分以上も、火を入れられない事もあるのかアンコ自体の味はより品よく美味しいのも特記事項だ。
たい焼きのみを主商品とする商売の維持は困難であろうことは想像に難くない。贔屓だったたい焼き屋や今川焼屋が気付くと店を閉めていることは何度となく目にしている。それでも願いたい、味の多様化による販路を広げようと、たい焼きの体内にクリームや、あまつさえカレーやピザソースを封入するような暴挙に出ないことを。
2017-12-21 11:38
2017年5月2日 甘い話。 [お気に入り]
Nikon KeyMission 80
甘いものである。
つい、買ってしまった"甘い"モノの記録である、しかも相変わらず暫し以前のことだ。念のため注釈を加えておくと、上の写真は空き袋だ。当然食べちゃったからね。健康を正義とすると、巷では糖は常に悪だ。当然、スーパーマーケットの棚を前に罪悪感と欲求のはざまで逡巡するのである。で、闇のフォースに取り込まれていくアナキンのように、結局、甘い誘惑に負けてダークサイドに堕ちてしまうのであった。
Pascoの「きび糖のパンケーキ」は初見だ、パンケーキというより寧ろどら焼きのようであるが、”粒あん&ホイップ”とわざわざ副題があるのは若しかするとそうでは無いバリエーションが有るのかもしれない。なんにせよ粒あんと形状、更には2個入りで100円程度という罪悪感を希釈するハイコストパフォーマンスに魅かれたのは言うまでもない。
キメ細かい”パンケーキ”で挟まれた所謂アンコは小倉餡とミルクホイップクリームだ。素直にどら焼きだったり菓子パンだったりと既知の、外れの無い、つまり美味しいだろうコラボレーションである。そして「きび糖のパンケーキ・粒あん&ホイップ」は、その期待を超えて美味しかったのである。
パンケーキは、驚くほどと強調したいほど柔らかい、反して粒あんは時折豆の硬さを感じさせる家庭的な炊き方が食感を増し、後味に明確にミルク風味を主張するクリームの組み合わせが見事である。さらに量販菓子にありがちな角の立った甘味とは一線を画す味わいに満足感は大きい。
敢えて苦言を呈するならば、その後スーパーマーケットの棚上に見つけられない事だ。つまりお代わりが入手できない。それは、きっと光のフォースが暗黒面への誘惑を阻止しているのだと、そう理解しつつも、少し不満だ。
2017-05-02 20:08
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2017年1月11日 鏡開き。 [お気に入り]
Panasonic LUMIX FX-500
今日は鏡開きである。
念の為、東京在住だから、と付け加えておこう。正月飾りも7日にはずした、東京だからね。
コチコチになった鏡餅を木槌で割って、それは遠い思い出だ。現実目前に有るのはスーパーマーケットで買った、それもひどく安価な、鏡餅風プラスチック容器に充填された”それ”である。昨年も同じもので、その食べにくさと不味さに辟易としながらも再び購入してしまうのは、まあ様々な理由だ。
お汁粉を用意した。とは言えいつもの様に茹で小豆缶詰の水増し汁粉だ。セール時に買い置きの井村屋の480g缶のゆであずきを鍋にあけ多めの水を加えた、つまり今日は東京風のお汁粉である。
余談であるが、アンコ好きとして、スーパーマーケットやコンビニエンスストアにおける”井村屋”のご贔屓筋を自認している。ただ、数個入りで袋売される中華まんにおいて「あんまん」は常に他の〇〇まんとのバーター扱いであることが悲しい現実だ。いつの日か一枚看板を張れる日が来ることを願ってやまないのである。
で、昨年は”中は固いまま外はドロドロな不味いもの”だった”鏡餅風なそれ”が、習わしに反して包丁で切ったうえ焼きに注力したことが幸いしてか”美味しくない餅”程度になってくれたのは特記事項だ。ただ硬いものを食べて歯を丈夫にして年神様に長寿を祈るという目的には程遠い。
2017-01-11 19:04
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2015年6月23日 だいじょうぶだァ。 [お気に入り]
Panasonic LUMIX FX-500
また、どら焼きである。
いただき物である。
相変わらず日を置いてのブログなのに、また、どら焼きの話題だ。
勿論前回の書き込みから、それなりに、イロイロ話題はあった。例えばキヤノンの新型機種のEOS 5Dsや5DsRをちょっと弄った印象などを記すれば、それはまあフォトグラファーらしいのではあるが、(今やすっかりニコンの操作に馴染んでしまったせいか)良く出来たカメラだったけど、実のところあまり響くものがなくネタとしての印象が希薄なのであった。
因みに、マル秘と書いてあったからきっと言いふらしてはイケナイ資料かも知れないEOS 5Ds/sRと他機種の比較写真の某中判カメラの古いズームレンズの写りが、EF24-70 F2.8L IIに負けず劣らずだったのが、むしろ印象深かったのであった。
という訳で、やはり「どら焼き」である。
「だいじょうぶだァーどら焼き」と「だっふんだァーどら焼き」そして「だいじょうぶだァー饅頭」の詰め合わせをいただいた。ありがたい至福の箱詰めである。なお仔細に言えば個別包装のどら焼きに対し5個セットの饅頭は内2個は「だっふんだァー饅頭」であると同封の栞にある。
東京都”東村山市”の「和菓子処 餅萬」とある。つまり、間違いなくアレなわけだ。
『だいじょうぶだァー』は小倉餡『だっふんだァー』はうぐいす餡を意味すると説明されているのであるが、同じく栞に紹介のある「だいじょうぶだァー最中」は大納言餡であると些か整合性を欠くのである。このさい「あい~ん最中」と名乗ってもらっても既に戸惑いは感じない、と思う。
典型的などら焼きである。普通のどら焼きだ。ただ惜しむらくは皮が美味しくない。ベタつくその皮は甘すぎるのである。
特徴付けの為であろう、沖縄産黒砂糖使用 黒糖風味とあるが、「黒松」のような芳醇な薫りは無く、その皮はただ甘い。小倉餡もうぐいす餡も等しく甘く煮過ぎのせいか豆の存在が希薄なうえ、主張の強い皮がそれを覆ってしまい、折角の二種類の餡を例えば「松かさ最中」のように楽しむに至らないのが不満だ。「だいじょうぶだァー饅頭」は、その説明の通り素朴な、懐かしい饅頭らしくアンコの風味を楽しめる拵えだけに、甘さを見誤ったどら焼きの皮の主張が残念なのであった。
ただ、いつまでも口に残るどら焼きの甘さを反芻しながら、だいじょうぶだァーと呟くとなんだか肩が軽くなるのも事実だ。
2015-06-23 18:42
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2015年3月21日 即席御馳走。 [お気に入り]
Panasonic LUMIX FX-500
インスタントラーメンである。
春分の日、と言うより休日だからと言ったこじつけである事は、今更言わずもがなである。
過日グーグルのトップにもそれがあったように、本来は安藤百福の生誕日にすべき話題ではある事は十分承知だが。
兎も角、休日の少し遅い昼食にインスタントラーメンは良く似合う、と思っている。家から一歩も出ることもなく、さしたる手間も掛からず、温かい食事が堪能できるのだからだ。当然この「堪能」が「満足」とは比例性に欠けるという指摘はこの際無視である。
カップヌードル新発売の新聞15段広告は記憶にある。その時はそこそこの年齢に達していたからだ。カップヌードルという未知の言葉とフォークで食べているビジュアルから、当時何故か我家に良く有ったキャンベルの缶詰のチキンヌードルと同様なものだろうと想像しながら新聞を眺めた。それはキャンベルのチキンヌードルがあまり美味しくなかったからである。実はカップヌードルはカップに入った”好物の”インスタントラーメンであることが分かったのは暫く時間を経てからの事だった。
インスタントラーメンが好物になったのは、恐らく「小池さん」がいつも食べていたからだと思う。ただ「小池さん」がするようにお湯を注ぎフタをして待っても、チキンラーメンは少し硬くてマンガと異なる現実の厳しさを幼いなりに学ぶのであった。
ねだって母親が作ってくれるインスタントラーメンは何時も具無しの素のままだった。母としてはあくまでも「インスタントラーメン」だったのだろう、なにしろ一人暮らしの大学生が年中インスタントラーメン食で病死したとか重い病気になったとかと言った都市伝説のような話題を時折口にしていたくらいだから、きっとそれを食事として”調理”するつもりは無かったのだと思う。
ある時友達の家で出されたサッポロ一番みそラーメンに玉ねぎと豚肉が入っていた。驚くほど美味しかった。帰宅後母親に食事をご馳走になったことの報告と、そのインスタントラーメンと具材の玉ねぎと豚肉の詳細を説明しそれがいかに美味しかったかを訴えた。
結局、その後も我家では、あくまで”素の”インスタントラーメンだった。そして自分で作れる年令になっても、インスタントラーメンとして素のままで完結することが、なんとなく正論だった。
今日の昼食は日清の「北海道のラーメン屋さん」である。少しボリュームが欲しかったから白菜と刻んだ油揚げ、そして出来上がりに白ゴマを多めにふった。
邪道だ。ただ、とても美味いのは当然なのである。
タグ:ラーメン
2015-03-21 18:03
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2014年12月24日 スイートクリスマス。 [お気に入り]
Panasonic LUMIX FX-500
クリスマス・イブである。
それは、つまり鶏肉とケーキを食することが、半ば義務化された、国民行事の夜だ。
七面鳥を鶏肉と置き換える事情は兎も角、そもそも七面鳥は感謝祭のご馳走なのではの些細な疑問は、最近巷に増えた唐揚げ専門店までが『クリスマス』への参加を主張するニッポンの食文化への懐深い寛容性の前に簡単に雲散霧消なのである。
さらには、不二家が大正時代に広めたと言われるツリーやサンタの載ったデコレーションケーキを前の晩に食べるという”規則”に忠実に、普段は甘いモノは苦手などと曰わるオトナな人達も嗜好の枠を超えて洋菓子店などに立ち寄り正しい日本文化の継承を遂行している事を確認出来るのである。
スーパーマーケットの店頭にはケーキやクリスマスカラーを奢ったオードブル、鶏肉絡みのお惣菜(?)は当然として、実は迎春用の切り餅と共にアンコ系の商品が豊富に並ぶのも甘党としては歓迎すべきクリスマスセールのもう一面だ。
母親がそうしていたように上手に小豆を煮ることは些かハードルが高い、そこで缶詰の茹で小豆である。中身を鍋に開け水と砂糖を足して煮込めば立派なお汁粉の完成である。因みに関東と関西で”汁粉”と”ぜんざい”の定義が異なるのであるが、どちらかと言えばツブの残る善哉あるいは田舎しること呼ばれる形態が好みなので茹で小豆缶のお手軽汁粉は一石二鳥なのでもある。加えて言えば箸休めは塩昆布系ではなく紫蘇の実の漬物などが好みだ。
今回は”紅あかね”というサツマイモを加えて煮込んだ。ふかし芋に最適と名前の下に書かれたステッカーが張ってあった千葉産のそれは確かに上手い具合に汁粉の中で煮崩れることなく存在感を保ってくれた。
そして餅である。軽く焼いた餅に汁粉を掛ける、当然である。若しくは汁粉の中で餅を煮るのも悪くない。
しかし最良は”すいとん”である。もっともその呼称が正確かどうかは解らない、両親がそう呼んでいたのを継承した。要するに小麦粉を練った団子風なモノである。ここで重要なのは水を加え玉にならない程度に練ったら適宜な分量を「整形せずに」汁粉に投入し煮込むことに有る。つまり凸凹の表面に甘みと小豆などを巻き込みながら固まり行く”すいとん”が、その歯ごたえとともに美味しいのだ。
恐らく今ほど切り餅の入手性が良くなかった頃に代用として汁粉に入れたのだろうが、甘党だった父はこちらを好んだらしく、間違いなく他所より高頻度で食卓に並ぶ我家のお汁粉にはいつも”すいとん”が入っていたのを記憶している。
その目的はともかくクリスマス・イブのお楽しみスイーツとしてお汁粉が出来た、サンタクロースやクリスマスツリーをデコレーション出来ない規則違反なのは内緒だ。
2014-12-24 19:54
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2013年12月8日 鯛の尾頭付き。 [お気に入り]
Nikon D600 AF-S60mm
たい焼きである。
中野の「ともえ庵」のたい焼きである。
3周年記念セールとかで四割引ほどでの販売価格につられた事は白状しておこう、魅惑の誘惑に従順なアンコ好きの性である。たい焼きを数える単位は正しくは何なのかはともかく、1匹いくらでという表現がなんとも可愛らしいチラシの誘惑だ、そう言えば開店の時も一周年だったかの時も同様な誘惑があったように記憶している。
特別なモノを使っているわけでは無いが丁寧に餡を炊き、一丁ずつ焼いてますというのがこの店の主張だ、店頭やチラシに事細かに語られているのである。最近の表現を借りれば天然モノにカテゴライズされる1匹ずつの型で焼かれるたい焼きであり、所謂東京のたい焼き御三家と呼ばれる先達と同様に香ばしい薄い皮のたい焼きである。因みに養殖モノとされる沢山並んだ型で焼き上げるたい焼きは、柔らかな皮とアンコの組み合わせで、それはそれで悪くは無いのであるが、その目的には今川焼きがより適っているとの主観的嗜好から、たい焼きにおいては天然モノがやや贔屓だ。
アンコは柔らかめだ、豆を潰し気味に練り上げた水気の多い餡である。あえて語っているように甘みの少ないアンコではあるが、確かに主張に有るように皮とのバランスは悪くない。食べ終わりにじんわりと余韻にひたれるアンコの美味しさといえる。柳屋のようなアンコの醍醐味や浪花家総本店の皮がはじけてアンコが飛び出すような力強さに対すると、ウロコのエッジの効いた端正な焼き上がりは些かアンコの量も少なめでほっそりした姿である。しかし頭から尻尾までそれなりにキッチリのアンコが詰まり、尚且つ柔らかいアンコの甘みと皮の味の比率が食べ終わりまで一定に楽しめるのである。
たい焼きとは、硬めの頭部に僅かなアンコを感じながら食べ始め腹部で圧倒的なアンコを堪能し、そして再びアンコを抑えつつ最後にパリッと尻尾のヒレ先で〆るのが最良と考えている。その観点においてクライマックス不在なこのたい焼きは若干物足りなさは否めない、とは言えじんわり静かに美味しい事は間違いない。
あと願わくばカレーやピザソース等を内包する時流に流されず、あくまで粒餡の正統たい焼きの維持に努めて頂く事を切に思うものである。
2013-12-08 18:51
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2013年5月28日 ほの辛い薄き幸せ。 [お気に入り]
Nikon D600 AF-S 60mm
新玉ねぎである。
つまり、薄くスライスして生食。これが美味い、ということである。
そもそもが玉ねぎは美味しい野菜である。だいたいが有形無形にせよ玉ねぎの入っていないカレーライスなど想像も出来無い、とはあくまで個人的意見ではあるが玉ねぎの旨味の力は偉大だ。因みにカレーライスのルーには人参と馬鈴薯も必須だと声を大にしておきたい。
普段の玉ねぎの難点はいきなり生食が困難な辛味だ。随分昔、学校給食が不味い食事と同義語の小学生だった頃、何かの中に青臭くて辛い球根状のモノが入っていた。学校給食なのだから玉ねぎだったのだろうが、晒し足りないのか酷く不味かった。青臭くて辛いのは小学生の口には悲劇だ。無理やり口にしながら、何故か勝手にそれはユリの球根だと想像した、不味い理由を系統付けたかったに違いないのであるが何故ユリを選択したのかは未だ解らない。結局、玉ねぎだったかノビルだったかラッキョウだったか今更知る由もないが、不味かったそれをチューリップでもクロッカスでも無くユリの球根と決めつけたせいで百合根の美味しさを知ったのは大分オトナになってからなのは内緒だ。
Nikon D600 AF-S 60mm
スライスした玉ねぎにはオリーブオイルと醤油がお気に入りだ。オリーブオイルに適量の醤油を乳化するまで混ぜ、それを玉ねぎに十分に混ぜ合わせて食べるのである、これが美味い。更に玉ねぎをあらかた食べ終えた所で豆腐を投入するのがマイブームでもある。水分の多い新玉ねぎで少し冷えた胃に、残った玉ねぎを薬味に豆腐がまた美味いのである。
醤油で引き立つ新玉ねぎの甘味と後味に少し残る辛味が美味しいのはオトナの味覚だ、いくらでも食べられそうである。新玉ねぎをスライスしながら気持ちはワクワクなのである。ただ、このマイブームが玉ねぎの栄養素の効果を体が欲している故かと少し不安だったりするのも不摂生なオトナの所以だ。
2013-05-28 17:12
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