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2020年8月17日 大門団長を偲んで。 [日常]

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OLYMPUS XA + NEOPAN SSS

写真は1979年末、か、1980年初頭の東映東京撮影所での某映画の撮影時のスナップだ。
東京の北西の大泉、今やポンピドゥーセンターみたいなエスカレーターのあるショッピングビルが建っている場所は、その昔は東映撮影所内の広い街路のオープンセットで、そこで市中ではとても撮影できない銃撃シーンや爆破シーンを撮影したのだ。で、当時日大芸術学部写真学科の学生だったのに何していたかと言うと、写真を撮りに行っていたのでは無くて、少し出演しつつガンエフェクトや弾着や爆破を行っていたのである。

勿論、ニチゲーの写真学科だから、当然、フォトグラファーのアシスタントもしていたのだけど、何本かの映画でそういう事もしていた。演者に銃の扱い方や構え方そして撃ち方をレクチャーして本番に臨むのだけど、銃撃とくに乱射シーンではアドレナリンが過剰分泌されるせいか本番になると大仰に銃を振りかぶったり、パンチのように突き出したり、しかも発火シーンでは準備とコストから所謂『日活コルト』の電着銃を使うこともあって、リアリティとは程遠いカオスな映像となってしまうのだったけど、それがニッポンのアクション映画の魅力だった。

その頃、『大都会』の黒岩部長刑事がテレビ局を移動して大門部長刑事となった『西部警察』が始まった。なんとスコープを装着した12番径の散弾銃でヘリコプターからピンポイントの狙撃をしてしまう団長が率いる、警察官なのにの軍団が人は撃つは、クルマは壊すは建物は爆破するはの、カオスの、いやニッポンのアクション映画の集大成みたいなドラマだ。もう面白くないわけがなく、毎週放映日が楽しみだった。

大学も卒業しプロのフォトグラファーとなったある日、日活撮影所に向かった。CMと同時にポスターを撮影するスケジュールだ。フォトグラファーが動画を撮ることがあまりに敷居が高かった当時だからスチルのポスターのみの撮影が仕事だった。東京の西の調布に日活東京撮影所がある、隣に石原プロモーションがあって当時放映中だった『西部警察PART-III』の大きな看板が目立っていた。

大所帯のCMチームの準備待ちで撮影所の食堂で時間をつぶしているとき大門軍団が入ってきた。つまり、西部警察の団長以下軍団が、ホルスターには銃が収まったまま、まるでドラマのオープニングのように入ってきたのだ、食堂だけどね。見ていると”若手”なんだろう 神田正輝 や 舘ひろし が甲斐甲斐しく準備をして、軍団なのに、団長以下和気あいあいで食事していた。
渡哲也さん安らかに。

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