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2020年2月20日 No Photograph,No Life. [カメラ]

sinnjyuku77.jpg
ASAHI PENTAX SP SMCT55mm  +  Nikon D850 AF-S60mm


1977年の新宿歌舞伎町の写真である。
そして例のビネガーシンドロームの崩壊を辛うじて回避した写真だ。

40数年前はニチゲーの写真学科の学生だった。写真が好きだから、当たり前なのだけれど写真を撮るということは日常だった。少し誇張していえばそれこそ息をするようにシャッターを切っていたのである。当然、レンズを向ける先は美しい恋人だけでは無かったぞ、と念を押しておこう。

卒業後は広告写真というまるで異なる道に進んでしまったのではあるけど、そもそもがユージン・スミスに憧れて写真家を目指していたからドキュメンタリーフォトを信条としていた。ましてやラルティーグやカルティエ・ブレッソンらにも大いに感化されていたから、キャンディッドフォトとかスナップショットを撮るために街へ出ていたのであった。

写真を取り巻く環境は当時と現在では大きく異なる。とは言え写真家の持つ撮りたいという欲望は変わらないから、その乖離が悩ましいのである。

昨日、小さな集まりで会った写真文化の向上を腐心する某氏が苦々しくこんな時にフジがやらかしてくれた、とこぼしていた。今だまだネットを賑わしているフジフイルムのあのPVのことだ。騒ぎになる前に偶々視聴していたが、寡聞にしてあのフォトグラファーを存じ上げていないし、自分とスタイルが異なるからと言って否定するつもりも毛頭無いのだけれど、あれはなんともカッコ悪い。写真家はカッコ良くないといけませんね。

はたして嫌悪感を抱いた人が多かったようで、所謂大炎上となり、フジフイルムは件のPVを削除という顛末だ。新製品とは言えマニアックなカメラの、その幾つかあるあるPVのうちの一編でしかないのに、こんなに炎上するほど写真の現状はセンシティブであることを改めて痛感させられるのである。

確かに写真を撮りたいとする写真家の欲求はあくまで利己的なものだ、そしてその欲求を被写体側の寛容と拒否のはざまに向かってシャッターを切ることで満たしているのは事実だ。学生の頃の写真の熱量は社会の寛容に保たれていた。そして、悲しいことに同じ熱量でカメラを振り回すことを今の社会は受け入れてくれないのである。

なにしろ犯罪発生を知らせるwebサイトに高齢の女性による小学生女児への声かけ写真を撮るという事案が発生しましたなどと表示される現代である。スマホに押されカメラの出荷数は減少の一途で、それに呼応するように写真を撮るという行為への社会の寛容も減少しているのである。

だから、あのフジフイルムのPVは、社会の寛容の減少を加速しかねない畏怖を感じるのである。ビネガーシンドロームは基本的にネオパンのみに発生した。つまりフジフイルムは数百本のわが青春の日々を失わせただけでなく、この先の未来まで危うくするつもりなのか、と、つい過ぎる嫌味の一つも言っておこう。だって、写真が好きだから、死ぬまで写真を撮っていたいんだからね。