SSブログ

2014年11月21日 正義の味方。 [カメラ]

11月.jpg
Panasonic LIMIX FX-500

公園での出来事である。
いや、と言うより実は最近、普段、其処此処で遭遇することの話題だ。

偶々公園のベンチに腰掛けていたのである。
傍目からは平日の昼日向から草臥れたオッサンがベンチで黄昏れている絵面である。そしてその見た目から想定される意味合いを声高に否定できないことも、まあその通りだ。

ただ、偶々ベンチに座って首を大きく頷けていたのは、一応日頃スナップフォトなどを撮りためる自称プロフェッショナルな行為の合間に、それも動画のチェックをすべくカメラの背面液晶モニターへの太陽光を遮断するための姿勢だったと、一応注釈を入れておきたい。

兎も角、黄昏れたオッサンの前に小学生の一群が現れた。時間からすると所謂学童クラブの集団かなと意識の端っこで思ったのは、元PTA会長の経験からなのである。引率の一人の中年男性はそれが彼の引率テクニックなのか、やたら極端な抑揚で汚い言葉を交えて子どもたちへ指示をしている。その大声によると、どうやら来る他校とのドッジボール大会に向けての練習を行うらしいのである。

因みに対戦相手として名が上がった校名は、かつてPTA会長を経験した小学校だった。

動画のチェックを終え立ち去り際に桜や銀杏の木が紅葉するその公園を”ファインダーを覗き”シャッターを切った。遊具の設置された広場と道を挟んだこちら側は春には花見客でごった返す木々の並ぶ美しい広場である。

すると恐れていた通りか、予想通りかはともかく件の集団の引率者の中から中年の女性が"嫌味な表情で"足早に近づいて来ると、子供たちの写真を撮らないでくださいとのたまうのであった。そもそもが画面の下方1/3に10m程先で大声の指示を聞く後ろ姿が木々の間に写る写真である、余分な揉め事も避けたい大人の対応として精一杯の笑顔とともにモニター画面をお見せしたのは言うまでもない。

彼女が確認したのかどうかは解らないが、写っているかもしれないので消してほしいんですよねと言い残して"嫌味な表情をうかべたまま"戻って行った。

写っていたらどうだと言うのだろう。

顔が写ったとしてそこから個人情報が読み取れるのだろうか、或いは普段着で日常の小学生の姿は写真に写るととたんにチャイルドポルノになるとでも言うのだろうか。 ならばきっと土門拳や荒木経惟や植田正治らは犯罪者であり、デヴィット・ハミルトンやジャンルー・シーフらは極悪人だ。

彼女は合理的な正義感をかざしたのだろう。無為な情報を元にした過剰な正義は子どもへの愛情とは無縁のオトナの都合で出来ている。日々報じられるわが子への虐待や殺人を防ぐのにはこんなタテマエの正義はきっと無力なんだろうと、彼女の嫌味な顔を見ながら、オッサンは余計黄昏れるのであった。


筑豊のこどもたち筑豊のこどもたち〈続〉るみえちゃんはお父さんが死んだ―土門拳写真集 (1960年)土門拳 腕白小僧がいた (小学館文庫)植田正治 小さい伝記さっちん (フォト・ミュゼ)




トラックバック(0) 

Facebook コメント

トラックバック 0