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2012年7月16日 比較論、もしくは唯物論か唯心論。 [カメラ]

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Nikon D7000 AF-S 18-200mm

然程大仰では無く、カメラを使い比べてみただけの事である。
同業の友人、つまりプロフェッショナルフォトグラファー、から些か草臥れた彼のカメラの刷新に絡んだ質問を受けた。導入候補の一つであるニコンD800の様子を知りたいということで、彼の現行機材と比較撮影をしてみたのだった。

天邪鬼あるいは判官贔屓を自認する身としては比較による相対的評価にはあまり興味が無いのが正直なところではある、が、現行仕事機材つまり商売道具のシステムを大きく変更かもしれない友人の憂慮もあって我がD800を比較の俎上に乗せた。

それにしても比較評価はヒトの性なのであろうか世の中は比較による相対的評価で成り立っている。無論、他店より一円でも高い場合はの一文には大いに賛辞を惜しまないのではあるが国際問題の根源から原発事故の調査報告書にまで比較による論評が含まれている。ことカメラやクルマの雑誌の記事の多くは比較を解説することで出来ている。ただ幸か不幸か我が愛するシトロエンのクルマ達が新発売の一時期以外は比較に引用される事が殆ど無いのは、実は少しだけ寂しかったりするのである。

カメラの評価基準は高感度と連写機能に拠るのが昨今の風潮であるようである。勿論こんなに高感度で撮影できるといった驚きではなく、あの機種より〜といった比較画像として表示が省略されるほどの桁数の感度を競った画像や高速連写音がnet上にも氾濫している。あくまで主観だと前置きはするが、ジャンルの差はあれスポーツ取材や一部報道系のフォトグラファー以外はD4やEOS 1DXの高感度や高速連写は恐らく無用の長物であり、むしろ高速連写を受け止めるための大きなボディやバッテリーが殆どのプロフォトグラファーには邪魔で無駄な物である。もっとも、例えばD800の妙に小さく持ちにくいグリップ形状や縦位置の操作性の悪さの解決はD4のボディであったりはするのが歯痒いところである。

因みに価格比較サイトのBBSに見られる、室内を動きまわる1歳児や幼稚園の運動会のために高感度と連射速度は必須としてD4と1DXを比較する方々は基本的な部分で間違っていると言っておきたいのは、けっしてヤッカミからばかりではない。

はたして友人の現行機種との比較で得られたD800画像は優れていた。平面的な画像にコントラストでシャドウとハイライトを強調し立体感を描いている友人の機種に対しD800は丁寧に形で立体感が表現されていた、モデルイヤーの差レンズの差も当然有るだろうが、人物の表情の表現と背景描写に顕著な違いが見いだせたのはユーザーとして選択の正しさが確認できて安心したのだった。ただ、これははあくまでこの比較での結果である。同じ14bitの出力で画素数の近いPentax 645Dとの比較であってもD800は何とも物足りない描写なのである。余談だがあのマミヤのレンズじゃ・・とグループ化以来残念に思っていたPHASE ONEだけど実は最新のレンズやボディは以前と別物だそうでPhase OneやLeafの16bitの高画素の画質が生かされているのだった、つまりより高画質だということだ。

井の中の蛙〜だから比較が必要なのか、所詮鍋が羽釜を笑う結果なのかはさておき、比較に依る優劣付けを根拠にBBS上に展開する排他的なまるで宗教戦争の如き論争は、きっと自らの信念の裏付けを求め多勢に一体化することでの安心を求める行為なのだろうと、あまりに切ない連日の中学生のいじめ自殺の報道にふれて思った。

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