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2010年9月29日 ご近所まで遠回りして帰ろう。 [クルマ]

c5andskytree.jpg
panasonic LUMIX FX-500

いささか放置ぎみの我がシトロエン C5ツアラーである。
ガソリンも不足なまま乗りっぱなしであった事を思い出し昨日、給油に向かった。余談では有るが、あの阪神淡路大震災の時はクルマがシェルターとなりヘッドライトの明かりが不安を和らげた事も有ってクルマには常に十分な燃料を入れておくべきだと言う経験談が有った。ついでにNAVI誌上に崩れかけた家屋を脇の駐車場のCITROEN BXが支えている写真があり、ある種の感銘を受けたのはシトロエンファンだからであろう。

面倒くさがりやであり、貧乏性(いや実際貧乏か)もあってガソリンスタンドに寄るのが億劫なのである。ましてや、ボンネットを開けろだの洗車がどうだのと畳み掛けてくるスタンドマンとのやり取りも苦手である。これは美容院での洗髪時にあれこれ聞かれる事と同様である、何処か気持ちの悪い所は有りますかと髪を洗われながら問われて、いったい何と答えれば良いのだろう。有りません以外答えられヒトはいるのだろうか何時も疑問である。

クルマについてはオレも詳しいぞ、ましてやシトロエンに関してはキミの知識の及ぶべくも無いぞ、と心で答えながら、スタンドマンの問いかけにいちいち不要と答える不毛な時間は、幸運にもセルフサービスのガソリンスタンドの台頭によって回避されたのであった。以来セルフスタンドのみでの給油を心がけつつも億劫に思う気持ちに変化が無いのは、結局ただの面倒くさがりやなのである。

目的を持って走っている途中に給油に寄るのが面倒ならば、給油を目的にすればという訳で近所のガソリンスタンドに向かうのである。

シトロエンのクルマは何段階かに分かれてアタリが付いてくると昔から言われていた。エンジンのアタリ、ハイドロサスのアタリ、ボディの馴染みが走行を重ねる事で絡み合ってシトロエンらしくなって行くのである。つまりある日エンジンは格段にシャープになり、乗り心地はまさに魔法の絨毯と再認識するのである。こうして虜になって四半世紀近くもシトロエンに乗っている訳であるが、悲しいかな走行する機会が少ないC5ツアラーにも変化は現れている。上まで軽く回る様になったエンジンに合わせより一層フラットに乗り心地は変化した。

ガソリンスタンドまでの僅かの距離でも口元が緩んでしまうのではあるが、気持ちの良い乗り味に抗えず帰り道に少々遠回りを考えた。西へ暫く走り環七へと右折する、皇居を中央とする様に東京にあるいくつかの環状道路のひとつである。流れに乗って淡々と走る、目的はクルマに乗る事なのだからあまりに非建設的行為である。しかしシトロエンの持つ胎内感に気持ちはゆっくり癒されて行くのである、心身ともにリラックス出来るのであるから無駄な行為では無いと言い訳は用意できる。

暫く見る間に随分伸びた東京スカイツリーを遠望して後、環七を右折して東京の中央を横断して帰路についた。

およそ55kmの走行距離であった。ちょっとガソリンを入れに行くには遠かったか、まあ所謂ドライブと言う事である。ところで、お気に入りの映画に『Driving Miss Daisy』がある、人種差別を背景にユダヤ系の頑固な老婦人のジェシカタンディとアフリカ系の文盲の運転手のモーガンフリーマンの演技が余韻を引く良い映画だが、このドライビングという言葉は夢中になるという意味のスラングだと、かつて聞いた。C5ツアラーのステアリングを握りながらなるほどと深く頷くのである。

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