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2010年6月18日 三本足の一つ目小僧。 [カメラ]

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PENTAX 645D DFA645 55mm

なぞなぞである。三本足の一つ目小僧ってナーンだ?
その通り、三脚に載ったカメラである。一眼レフより4X5なんかのビューカメラの方がイメージか、冠布が掛かっていればまさに妖怪風である。

三脚は、おそらく最も古いカメラアクセサリーであろう。長時間に及ぶ露光の最中カメラを固定しなくては写真を写す事が叶わなかった時代から現在まで変わらぬ構造でカメラ屋さんの店頭に並んでいる。

アタシの手元にも6本ほどの三脚が有る。高さが2mを大きく超える所謂5型と呼ばれたタイプから万能な4型そしてメーカー違いで少しずつ小さくなって行くラインナップで所有している。つまり、仕事なんで用途に応じて揃えていると言う事である。因にほとんどが外国ブランドである、日本ブランドの製品は、すぐに止まらなくなってしまうという残念な作りである事が要因だ。

ともかく、道具では有るのだが元来三脚は嫌いなのである。つまり面倒くさいのだ。演劇部でもあった高校時代、『三年寝太郎』が地を生かしたはまり役と言われたアタシはグータラなのである。三脚は持ち運びも面倒だし操作も面倒だし、なにより直感的にアングルを変更出来ない事も嫌いなのだ。それもあってペンタックスの67や645を愛用してきた。手持ち撮影がし易い事、アイレベルファインダーである事が理由である。

PENTAXの新型カメラである645Dも例外無く持ち易い。例えばこの建物のように水平に気を使う時でもファインダーに表示される水準器と掌への接地面積の多いボディデザインで安楽であった。もっとも、2軸式を自慢する水準器が、どちらか一方でも測定範囲を超えるとエラー表示になるのはいただけない。斜俯瞰で水平が解らないでは意味が無いのだ、早々の改善を期待したい。

訝しいのはトークショーという645DのPRの場なので盛んに三脚使用を強調する事である。メーカーが自慢するグリップの良さは手持ち撮影の範囲を確かに広げてくれているのに、である。同時に中判カメラは三脚使用が当然かのような固定概念の論調にも少々驚く。屁理屈を言えばスピグラやテヒニカの様なフィールドタイプの4X5だって手持ちカメラなのに。

ブラさない為、アングルを固定する為、体力を補助する為、長時間露光の為等々三脚の使用は正論である。しかし風光明媚な地などで多く遭遇する三脚に載せたカメラで不自由そうに撮影する情景は、明るい太陽光のもと、手ブレ対策のされた機材には不要ではないかと思える事が殆どである。ましてや目撃する多くは使用カメラに対し三脚本来の機能を期待するには力不足な三脚ばかりである。そして、三脚と言う結界に身を置くが故か他者への配慮に欠いた行動が散見される事が残念である。

固定撮影が前提のビューカメラを除けばカメラは手持ちで扱える道具である。135版で有ろうが中判であろうがデジタルで有ろうがである。道具として三脚が必要な限界は当然あるが、ハナから思い込みや先入観で三脚にカメラを固定してしまうのは、わざわざ不自由を抱え込むようでもったいない話である。同時に三脚は解り易い撮影行為の象徴である、マナーという観点からも使用には配慮が重要なのだ。

三本足の一つ目小僧は本当に妖怪扱いされかねない、見かける三脚禁止の張り紙は撮影マナーへの警告なのだ。

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