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2009年6月20日 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 [日常]

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太宰 治である。
昨日6月19日は太宰治の誕生日であり、桜桃忌でもあった。

38歳の太宰 治が愛人山崎富栄と三鷹の玉川上水へ身を投げたのが1948年の6月13日で、その二人の遺体が発見されたのが、奇しくも太宰の誕生日である六日後の19日という事である。4度の自殺未遂の過去から、この心中は狂言の失敗という捉え方もあるようであるが勿論真実など判るはずもないのだ。

朝日新聞に連載していた小説は13話で絶筆となり、13日に身を投げるということで当時からその暗示性に憶測は様々だったようである。

今年は太宰 治の生誕100年であり、特に新聞などの記事が多い。太宰 治が再びブームである事、旧制中学時代の写真が新たに発見された事が新聞紙面に並ぶ。今日の朝刊にも生誕の地である青森県五所川原で銅像除幕や三鷹での桜桃忌の記事が見られた。

小説家の事だからという訳ではないが、やはり太宰の話題は新聞紙面で読むのがしっくりするのだ。活字を追うとはもはや死語だろう。活字ではないのだから。写植も死語だ。新聞の文字もすっきりと大きな文字になった。受験生だった頃朝日新聞の『天声人語』を読むのが必須の様にいわれたのであった。試験の出題率が高いとか単に勉強になるからという事だったと思う。一面の下方一段に見事な行数に収まった文章は毎日完璧に起承転結を表していた。ただ当時の文字は、それこそ活字だったろうか、新聞らしくはあったものの読みにくかったのである。つまり、輪をかけて難解であった。

我が家では当時父親のポリシーか頑として読売新聞であった。従って『天声人語』は他所で読まざるを得なかったのであったが、そんな習慣からいまだに宅配は読売新聞を読んでいるのである。紙面の改変で不思議な段組みになってしまったが、『天声人語』に対しちょっと世俗的な『編集手帳』もお気に入りである。

桜桃忌の昨日『編集手帳』に中学時代に食事も忘れむさぼり読んだ『人間失格』を数十年ぶりに読み返したとあった。処世の術を身にまとった大人の今、退屈が先んじて読み終える事ができなかったとまとめている。

尖ってないとならない感性という本能は、やはり削られていくのだ。アタシも仕事の写真をポートフォリオにまとめながら感じていた、最近の写真が退屈なような気がするのだ。『編集手帳』の記者が感じた退屈は若き日の目で見た今の自分なんだね。



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